美空ひばりに憧れ、16歳の頃より浜松市の佐伯一郎に師事する。高校卒業後上京し、浜口庫之輔・大本恭敬・ヘンリー倉田等に師事しながら銀座のクラブで歌っているところを水原弘に認められ、昭和45年東芝レコードより『ざんげの値打もない』の大ヒットで数々の賞を獲得し衝撃のデビューを飾る。そして次作『棄てるものがあるうちはいい』『何も死ぬことはないだろうに』の連続ヒットにより歌謡界において確固たる地位を築く。その後もミレイ節と云われる歌唱で確実にヒット曲を出し続け各方面の関係者より絶大な支持を受ける。
■昭和50年、ワーナーパイオニアに移籍、『石狩挽歌』を発表。その年の東京音楽祭に於いて作詞賞・編曲賞を受賞、同音楽祭に4年連続の出場を果たす。『石狩挽歌』は現在でもリクエストが絶えず、また多くの歌手によって取り上げられ歌謡史に残る名曲として北原ミレイの代表曲の一つとなっている。その後も『春』、そして山崎ハコとの異色のコンビによる『白い花』等、社会性の強い題材をテーマに楽曲をリリースしヒットさせる。
■昭和55年、2年間の歌手生活の休止を経てSMSレコードより『矢車の花』を発表し歌手生活を再開する。再び山崎ハコとのコンビで『納沙布岬』をヒットさせる。
■昭和57年11月、徳間ジャパンへ移籍し第1弾として五輪真弓の作詞・作曲によるシングル『愛のサフラン』、また同名のアルバムも同時発表し話題を呼ぶ。
■昭和58年、『漁歌』を発表。その後北島三郎と競作となり話題を呼ぶ。
■昭和59年12月、チョー・ヨンピルとの競作『流されて』を発表。
■昭和61年1月には、CMソング『夢うつつ』(カルビーポテトチップス)を発表。他、資生堂「紅」、焼酎「のんのこ」等、CMソングを数多く歌唱し幅広く活動する。
■昭和62年には、ブームの先陣を切って『風の盆』を発表。又、JR東海とのタイアップも話題となる。その後、同名タイトルの曲が複数の歌手の手により発表される。
■昭和63年9月、加藤登紀子の書き下ろし楽曲『天国のかけら』を発表。従来のミレイ節とはひと味違う歌唱で注目を浴びる。
■平成5年には、森田公一とのジョイントコンサートを、東京・札幌・名古屋にて実施。又、厚生省の精神障害者の為のチャリティーコンサートを全国四ヶ所で行う。更に慰問・ボランティア活動にも意欲的に取り組む。
■最近では、NHK「サンデージョッキー」のアシスタント他、グルメ・旅番組(TV東京系)のリポーターなど幅広く活動し新境地を開く。
■平成7年3月より、三和銀行グループCMに於いて新たにオペラ調の楽曲にも挑戦している。又、同年の11月には25周年記念曲『愛したいの』を発表。「特選ぶらり旅」(TV東京系)のエンディングテーマ曲になる。
■平成9年8月、『石狩挽歌』の歌碑が北海道は小樽貴賓館・旧青山別邸に建立される。
■平成10年発表の『夢うた』では、NHK「はつらつスタジオ505」新ラジオ歌謡に採用され3ヶ月間レギュラー出演する。
■平成12年、歌手生活30周年を迎え記念曲として『くらくら』『終わりなき旅路』の2曲を発表。
■平成13年、30周年を機に自身が予てより希望していた「お洒落」「様々な愛の形」、この2つをテーマに制作にも意欲的に参加する。第1弾として、テレサテンの為に書かれた幻の作品『忘れないで』をリリースし新たな世界を切り開く。又、アグネス・チャンとの競作となり話題を呼ぶ。
■平成15年、民音による全国ツアー「菅原洋一&北原ミレイ ジョイントコンサート/再会~Again~」がスタートする。
■平成18年5月、デビュー35周年の記念曲第2弾として発売した『rf(リフレイン)ブルー』は、自身初の一般公募作品となり260作品(歌詞)の中からの採用となる。
■平成19年12月、『雨の思い出』のカプリングとして代表曲『石狩挽歌』『ざんげの値打もない』の2曲を数十年ぶりに新録音し収録する。
■平成24年6月、芸人友近演じる演歌歌手 水谷千重子「40周年記念リサイタルツアー」にゲストとして共演する。
■平成26年6月、昭和の魅力的な作品を歌ったカヴァーアルバム「ミレイの演歌」を発表。大好きな「かもめの街」(ちあきなおみ)、「津軽のふるさと」(美空ひばり)、また39年振りにアレンジを変えた「石狩挽歌」等、全15曲を収録。
■平成27年、1月には45周年記念シングル第1弾「風の午後」、5月には45年の軌跡を収めた記念ベストアルバム「~感謝45周年~」(2枚組/全35曲収録)を、又11月にはバスストップの平浩二との自身初デュエット曲「甘い罠」、そして12月には45周年記念シングル第2弾「港のリリー」と、1年間で4作品をリリースし益々意欲的な活動を続ける。
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