プロデューサーGEOより
1995年、僕はハードでアンアジャステッドなクラブサウンドに夢中でした。 キンバリーとのスタジオセッションで、「ブーヤー ヒア・ウィー・ゴー」は生まれ、この曲がレコードディールを得てそれから先はあっという間でした。このトラックは全てのクラブで流れました。そして次のセッションで「シャカラカ」を書いたのです。 シンガーがアメリカに住んでいたのと、他にもプランがあり、新しいラインナップが必要でした。そしてティナ・ハリスがスウィートボックスに参加し、彼女がヒップホップよりだったために、ジャンルを変更しました。その後少しの奮闘があり、「エヴリシングズ・ゴナ・ビー・オールライト」が生まれ、ブレークしたのです。しかし2年間ほどツアーをした後、ティナが普通の生活に戻ることになり、スウィートボックスは活動を休止しました。
ハッピーな一連の出来事の後、ジェイドが新しいシンガーとなり7年間の素晴らしい年月を共に活動することになりました。5枚のアルバムを制作し、多くのライブツアーを行いました。そして2006年に、マネージメントとの問題で僕らは二人ともがスウィートボックスを離れたのです。
クラシック曲とポップの繋がりは常にテーマでした。僕らはいつも“変奏”という伝統的な視点を持っていました。 これはクラシック音楽の時代には全く普通のことだったし、偉大な作曲家たちはお互いの曲をアレンジしあっていたのです。現代ではそれを“カバー曲”と呼びます。今に生きる僕たちの楽曲は、歴史上の優れた音楽に基づいていることを決して忘れることはありません。
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