DJが誰かの人生を大きく変えることはこれまでに何度もあった。そしてこれからもあり続けるだろう。しかしティーンエイジャーのジェイムス・ブレイクが2007年に初めてロンドンのクラブ"FWD>>"(フォワード)へ行ったその時の衝撃は正に強烈で、彼の人生を変えるものになったことは間違いない。
ジェイムス・ブレイクは、ミュージシャンの父親とグラフィックデザイナーの母親との間に一人っ子として1988年に生まれ、北ロンドンの緑に覆われたエンフィールドで育った。それぞれ自営業で成功を収めた両親は、息子に自分のやり方で生き、誰のためではなく自分のためだけに働くという考えを植え付けた。6歳のときにジェイムスはピアノを習い始め、後にクラシックの教育を受ける。決して楽しいものではなかったが、その重要性を彼は理解していた。
ティーンエイジャーになるとジェイムスはアドリブでピアノを弾きながら歌うようになり、オーティス・レディングなどの古いモータウンのソウル・レコードに合わせてピアノを弾いたりもした。そうしていく内に和音を身につけていった。
父親のスタジオには充分なほどのレコーディング機材や楽器があったものの、ジェイムスはFWD>>に行くまでそういったものに興味を抱いていなかった。新しいサウンドを作るために音楽制作ソフトLogicを手に入れ、Digital MystikzのMala and Cokiの"純粋なオリジナル・ダブステップ"をコピーするようになった。そしてゆっくりと彼はそれぞれの曲に自分の音楽的センスとアイディアを注ぎ込むようになっていった。
大学生であるジェイムスには時間の余裕があり、ラップトップで曲作りを行ったり、ブリクストン(DMZ)やショアディッチ(FWD>>)にあるクラブのダブステップ・イベントへ足を運ぶことができた。ファーストシングル「Air and Lack Thereof」は、2009年にUntoldとして知られるプロデューサー、そして今ではジェイムスの良き友人となったJack Dunningが経営するHemlockレーベルからリリースされた。Rinse FMのラジオ番組でDJ Distanceがジェイムスのトラックをかけ、それをJackが聴いたのがきっかけとなった。Jackはそれをすごく新鮮なサウンドだと思い、契約を結ぶことを決心した。確かにジェイムスのサウンドは、最近耳にする殆どのダブステップ、もしくはポスト・ダブステップのレコードとは著しく違う。まず第一に、和音が使用されている。
ジェイムスは今年5枚のシングルをリリースし、すでに称賛を得ている。どういうわけかブロガーたちは彼の作品のその孤独感を取り上げ、複雑なビートについてあれこれ考えることを好んでいる。幾つかの主要トラックには、R&Bレコードからサンプルされ、派手に編集されたボーカルが使用されているが、ファイストの「リミット・トゥ・ユア・ラヴ」の斬新なバージョンでは彼自身が声をレイヤーして歌っている。非常にパワフルなトラックである。
より多くの人が彼の音楽に魅了されていく中、その中毒性は一貫して変わることはない。
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