Maynard James Keenan/メイナード・ジェイムス・キーナン : vocals
Adam Jones/アダム・ジョーンズ: guitar
Justin Chancellor/ジャスティン・チャンセラー: bass
Danny Carey/ダニー・ケアリー: drums
1990 - 1995
1990年、ダニー・キャリー(Dr)、(当時の)ベーシスト、ポール・ダムールが、アダム・ジョーンズ(G)、メイナード・ジェイムス・キーナン(Vo)と知り合ったのをきっかけに結成。たった7回のライヴだけでメジャー/インディーズ入り乱れての激しい争奪合戦を引き起こし、1992年、ライヴ・デビューからたった3ヶ月というスピードでEP『オウピエット』でメジャー・デビュー。カール・マルクスの有名な引用文「宗教は大衆のアヘンである」から取ったとされる『オウピエット』が発売されるやいなや、ここに収録された「ハッシュ」や「オウピエット」を始め、TOOLは一気に注目を集める存在となった。
『オウピエット』がリリースされた10ヵ月後の翌93年にはデビュー・フル・アルバム『アンダートウ』をリリース。ロリンズ・バンドや、フィッシュボーン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとのツアーで、他のヘヴィ・ロック/オルタナティヴ勢とは完全に一線を画す独自のサウンドと世界観、そしてその壮絶なライヴ・パフォーマンスで、同年に行われたロラパルーザのメインステージへ出演するオファーを受けるなど、トゥールは徐々に"怪物化"し、『オウピエット』はEPながら130万、『アンダートウ』は400万枚近いセールスを記録。『アンダートウ』に収録された「プリズン・セックス」は、メイナードによる詞とアダムが監督したビデオは、「幼児虐待をうたい、映像もそれを象徴的に描いている」「生々しく攻撃的」という批評にもさらされたが、その独自の世界観はビデオの中にも描かれ、TOOLは唯一無二、孤高の存在として、その地位とファンベースを確立していった。
1996 - 2000
『アンダートウ』に続くセカンド・アルバム『アニマ』のレコーディングを終えた直後の1995年9月、ダムールは円満に脱退し、同年11月、以前にTOOLとヨーロッパ・ツアーを行ったバンド、ピーチの元メンバーだったジャスティン・チャンセラーが加入。翌96年10月にキング・クリムゾンやピーター・ガブリエルなどとの仕事で知られるデイヴ・ボットリルとの共同プロデュースによるトータル・タイム77分に及ぶ大作『アニマ』をリリース。またしてもシングルの「スティンクフィスト」はラジオでなかなかエアプレイされず、MTVは攻撃的な意味合いのためにビデオのタイトルを「Track #1」と変えてしまうほどだったが、圧倒的なファンからの声に後押しされ、最終的にはほとんどのラジオ局がエディットされていないアルバム・バージョンをオンエアし、『アニマ』は、マリリン・マンソン、KOЯNをおさえて全米チャート初登場2位を記録した。
『アニマ』は、リリースされる2年半前に亡くなった風刺家のビル・ヒックスに捧げるものだった。この『アニマ』と『アンダートウ』にはいくつかのヒックスによるパフォーマンス、スケッチやサンプリングが入り、ヒックスがロサンゼルスを嫌っていることで有名になった一節“Learn to swim, I'll see you down in Arizona Bay”を歌詞にも用いている。また、特殊パッケージが、97年のグラミー賞「ベスト・レコーディング・パッケージ」賞へのノミネートでも話題になったこの作品は、300万枚を超える大ヒットとなった。
1997年、所属レーベルVolcano Recordsは契約不履行でTOOLを訴える。Volcanoによると、「契約では禁じられているにも関わらず、他のレコードレーベルからのオファーを見直していた」そうだ。TOOLは契約に更新選択権を入れてないことで逆に訴えたが最終的に双方は示談し、以降新たに3枚のレコード契約に同意した。法的な争いはバンド・メンバーにはかなりの負担となり、次のアルバム制作が遅れることとなったが、99年には新作リリースはなかったもののTOOLとして精力的にライヴ活動を行い、全公演ソールド・アウトにするなど、その人気の高さをまざまざと見せつけ、同年にスタートした第1回コーチェラ・フェスティヴァルでも際立つ存在感と凄まじいパフォーマンスでオーディエンスを圧倒し、ヘッドライナーとして登場したレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのステージにメイナードが登場、競演を果たしている。
ちょうどこの頃、メイナードは長年の友人であり、ギタリスト兼プロデューサーのビリー・ハワーデルと共にア・パーフェクト・サークルという新しいバンドを本格的に始動。2000年にリリースした1stアルバム『Mer De Noms』は全米初登場4位を記録するなど、ここでも怪物ぶりを実証し、TOOL同様の高い支持と評価を受けたア・パーフェクト・サークルは、2004年までに2枚のオリジナル・アルバム、カヴァー・アルバムとDVDをリリース。2000年にフジロック・フェスティヴァル、2003年に、2004年にはア・パーフェクト・サークルとして単独公演も行っている。
2001 - 2005
『アニマ』の後5年もの間、TOOLとしてのスタジオ・アルバムはリリースされなかった。TOOLが解散するという噂までもが広まる中、2000年にVHS/DVD/CDボックスセット『Salival』を限定リリース。このボックスセットにはファンの間でとても人気が高かった「プッシット」のニュー・バージョン、レッド・ツェッペリンのカヴァー「ノー・クオーター」やユニークなライブ・トラックとBサイド曲や、この時点までの全ビデオ・クリップ、「スティンクフィスト」「アニマ」「プリズン・セックス」「ソウバー」「ハッシュ」が含まれていた。このリリースでシングルは生まれなかったものの、ヒドン・トラックの「Maynard’s Dick」は多くのラジオ局でオンエアされた。
2001年、まだバンドの噂が続いている中、『Systema Encephale』という分りにくいラテン語タイトルのトラックリストで新作のリリースが発表され、予想通りインチキなファイルが殺到した。この頃、TOOLのメンバーは「破壊的なことをしている企業がたくさんあると思う。MP3で一番打撃を受けているのは会社や業界ではなく、曲を作ろうとしているアーティストなんだ」とNapsterなどを批判していたが、それから1ヶ月後、実際のタイトルが『Lateralus/ラタララス』で、『Systema~』はただの策略であると公表。ニセのタイトルに向こう見ずに全力を投じてきたミュージック・マガジンやサイトを落胆させた。
こうして前作『アニマ』から5年振りにリリースされた『ラタララス』は、平均6分半、「パラボラ」のビデオにいたっては前例のない「10分半」というの長さで、主流音楽チャンネルやラジオではほとんどオンエアされることが不可能な長さだったにも関わらず、全米チャート初登場1位を獲得し、そのセールスは軽く200万枚を突破する世界中で爆発的なヒットを記録。アルバム発売後から2002年にかけて再びトゥールは精力的にツアーを敢行し、8月にキング・クリムゾンとの10公演を含む大々的なツアーや、2001年にはTOOLとしては初めてフジロック・フェスティヴァルへの出演、翌2002年には来日公演も実現した。
2002年11月のロングビーチ・アリーナでのツアー終了をもって再び活動休止期間に入ると予想された中、メイナードはア・パーフェクト・サークルとしてレコーディングやツアーを続けたが、2004年にはそれにも終止符をうち、2005年、約5年間の沈黙を破りTOOLとして再始動。新作のレコーディングに突入した。
アメリカでは新作に先駆けてDVDシングル「スキズム」「パラボラ」を12/20に2枚同時(日本盤は2006年2・3月に2ヶ月連続)リリース。どちらもそれぞれのビデオとコメント、そしてLustmordによる未発表リミックスも収録されている。
2006
2006年2月、遂に『ラタララス』以来5年振りとなる新作が完成。同2月下旬から3月上旬にはバンド史上初となるUK、ドイツ、オランダ、日本、オーストラリアを廻るプロモーション・ツアーを敢行。また、4/29・30に行われるCoachella Valley Music and Arts Festivalの30日にヘッドライナーを務めるのを皮切りに、5月下旬から7月上旬にかけてヨーロッパの数々の巨大フェスティヴァルへのヘッドライナー・ツアーや、日本においてはSUMMER SONIC 06への出演も正式決定。
作品をリリースするごとにロック・シーンにおける新機軸を築いてきたトゥール。06年5月、遂に5年振りの新作がリリースされる。
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