74年5月16日、北イタリア・ファエンツァの人口わずか3000人の町ソラローロに生まれる。父はピアノ・バーで演奏するピアニストで、8歳のころから父と一緒に歌っていたという。
幼いころから人前で歌うことに慣れ親しみ、トレーニングを積んできたラウラは、91年17歳で新人歌手の登竜門、カストロカーロ・コンテストに出演。
このときのパフォーマンスがレコード会社の目にとまりデビューのチャンスをつかむ。93年2月、18歳でイタリア最大の音楽イベント、サンレモ音楽祭でデビュー。最優秀新人賞を受賞。
デビュー・アルバム『Laura Pausini』も大ヒットを記録し94年ワールド・ミュージック・アウォードで「ベスト・セリング・イタリアン・アーティスト」を受賞、デビューまもなくしてイタリアを代表する女性シンガーとなった。
また、この曲はベルギーやオランダでも大ヒット、これらの国で最も売れた洋楽シングルとしての記録は未だに破られていない。
94年にリリースの2ndアルバム『Laura』はイタリア・アルバムチャートTOP50に7ヶ月チャート・インする大ヒットとなったほか、1stと2ndアルバムからの曲をスペイン語で歌ったアルバムがヨーロッパ、中南米で大ヒット。活躍の場合を一気に広げ、ラテン諸国での人気は不動のものとなった。
01年ラテン・グラミー賞では4部門にノミネートされた。また、ライブ・アクトとしても定評があり、01年-02年にかけて行われたワールド・ツアーでは、アリーナ・クラスの会場を満員にし、15カ国47都市で60万人を動員した。
イタリア語だけなく、スペイン語、ポルトガル語の作品のいずれも大ヒットさせており言葉を選ばず聴衆を魅了することができる実力派歌姫として、ラテン諸国ではすでにスーパースターになっている。
そして03年、遂に初の英語アルバムを発表、活躍の場を北米、アジアにも広げ、ワールドワイドでの活躍が期待されている。
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