準備とチャンスが巡り会ったとき、 ステキなことが起こる。それを「運(Luck)」と呼ぶものもいる。しかしデトロイト出身のMC=ビッグ・ショーンにとって、2005年カニエ・ウェストと出会う「チャンス」に巡り会えたのは、それまでの懸命な「準備」があったからだった。
ビッグ・ショーンはラジオ局の廊下で、マルチ・プラチナ・スーパースターのカニエを振り向かせようと、目の前でラップを披露した。その後も、カニエと連絡を取り合いながら、ついに2008年3月、G.O.O.D.ミュージックを通してアイランド・デフ・ジャムと契約を交わすことに成功。そしていよいよビッグ・ショーンのデビューアルバム・リリースが決定。現在もっともリスペクトされているアーティストをゲストに迎え、同時に「ビッグ・ショーンというMC」のディープな生きザマがこの作品に反映されることになる。ひとつひとつのライムに、彼の芸術(ワザ)が沁み込んでいる。
ビッグ・ショーン(本名ショーン・アンダーソン)、生まれはカリフォルニア州サンタ・モニカ、現在21歳。わずか生後2ヶ月で、家族に連れられデトロイトに引っ越す。病いに冒されていたジイちゃんの近くにいてあげるためだ。幼稚園児の年齢になったショーンは、母親の意向で、ウォルドーフ・スクールへと入学。そのスクールは、子どもの創造力(クリエイティビティ)教育と発展に特に力が入れられている場所だった。
「育ちはデトロイトのフッド。だけど通った学校は超エリートの私立。両方の極端な世界を見ながら、大きくなったんだ」と、ショーンは語る。「芸術に力入れている学校だった。楽器は3、4つ弾けるようになって、スペイン語とドイツ語は8年間学んだ。あの学校には感謝してるよ。初めて音楽に触れたのが、”そこ”だったからね。で、やがて詩作(ポエトリー)にも興味がわくようになったんだ。」
ラップを始めたのは12歳の頃。アーティスティックな育ちのショーンには、自然な流れだった。「バッド・ボーイ全盛期にのめり込んでたよ」と、回想する。「バッド・ボーイがきっかけで、ラップ始めたんだ。だって当時のメイスとかパフ・ダディとか、女の子にモテモテだったでしょ。で、だんだんジェイ・Zとか2パックがリスペクトされるのを見て、今度は”音楽そのもの”に興味を持ちはじめた。」
次の年、デトロイトの公立高校へ入学。 そこで、のちにMCグループ=S.O.S.を組むことになる仲間、パット・ピフと出会う。16歳の時、ショーンとパットはデトロイトのヒップホップ・ラジオ102.7局のMCコンテスト(Friday Night Cipher)に参加。見事S.O.S.優勝。オンエアで生ラップを披露するというチャンスを獲得。これはデトロイトの街中に流された。「あれはデカかった」と、ショーンは語る。「そのおかげで、高校で激モテだったよ。」
大人気となったS.O.S.は、毎週金曜の夜、ラジオ局に招待された。これがほぼ1年続いた。「高校最後の年にさしかかる頃、局にカニエ・ウェストが来たんだ。あの時、『Late Registration』のアルバムのプロモで来てた。で、仲間にこう言われた。「カニエの前でラップやれよ。おまえなら絶対契約してもらえるから!」って。俺は「マジかよ」って返事してたよ。でもそのダチ、「マジさ。カニエの前でラップしてこい!」って、そいつに背中を押された。」
仲間のアドバイスを素直に聞き入れて、ショーンは、デモを片手に局まで駆けつけた。そして難なく局内に入れてもらえた。というのも、ちょうど前の夜、同じ番組に出演していたからだ。「有名人に会うなんて初めてだったから、心臓バクバクしてたよ」と、ショーンは回想する。「ついにカニエさんの前で、こう言ったんだ。『ヨゥ、カニエさん。あんたは俺の大好きなラッパーだよ。ちょっとでいいから、俺のラップ聞いてくんないかな?』するとカニエはこう言ってくれた。『いいよ。ワン・ヴァース、16ラインね。でも俺もう帰るから、廊下歩きながらな。』で、フリースタイル始めて、今までで最高のライムをカマしてやった。結局、気づいたら10分間ぶっ続けでラップやってたよ。』
この若くて度胸あるMCに、カニエは惚れ込んだ。そしてその晩控えていたプライベート・リスニング・セッションに、ショーンは招待された。もちろん参加。タイミングを見計らい、ショーンはカニエに尋ねた。「もしかして新人のアーティスト探してないかな?」、と。カニエはショーンに、「連絡してこいよ」と、返事した。この時ショーンは、人生最高のコネクションを得た心持ちで、リスニング・セッションの場を後にした。
その1年後。ショーンはカニエのツアー・マネージャー=ドン・Cから電話をもらう。「ニューヨークに飛んで、G.O.O.D.ミュージックの社長=ジョン・モノポリーに会ってくれ」という話だった。「社長にこう言われた。『キミの音楽をもっと聴きたい。キミに投資するのはそれからだ』、ってね。トラックを何曲かあげるから、それでラップしてみろ、ってことだった。」
ショーンはウチに帰って、仲間のパット・ピフと曲作りを始めた。やがてG.O.O.D.ミュージック全員が、二人の音楽に”感銘を受ける”ことになるが、二人が期待していたリアクションとは少し異なった。「マネージャーから電話あって、『良いニュースだよ!』って。G.O.O.D.ミュージックがショーンと契約したがってる!ってね。でも、S.O.S.グループ自体は契約してくれなかった。ほろ苦い瞬間だったよ。だってパットのことをみんな、俺よりもドープなMCだと思っていたからね。」
幸運なことに、その後もショーンとパットは親友であり続けた。そして誓った。もし二人のどちらかがソロデビューすることになっても、絶対おたがいを曲作りに迎え入れる、と。2007年の年末、ビッグ・ショーンは正式にG.O.O.D.ミュージックのメンバーとなった。同じ頃、初のソロ・ミックステープをリリース。『Finally Famous Vol. 1』のイントロには、ショーンの新しいレーベル・ボス=カニエ・ウェストからのメッセージが収録されていた。ダウンロード数は6万を超え、大成功をおさめた。
2008年3月、ショーンはアイランド・デフ・ジャムと契約を交わす。その後は、カニエの『Glow In The Dark』ツアーに参加。そのツアーライヴで、国際的アイコンの暮らしを間近で目の当たりにする。2009年春、2枚目のミックステープをリリース。タイトルは『You Know Big Sean(ボクだよ、ビッグ・ショーン)』。BET(Black Entertainment TV)により、2009年ミックステープ第2位に選ばれる。そしてついに現在、正式にデビューアルバムの準備を進めている。『Finally Famous』についてショーンは、”おおきな一歩を踏み出したことがあるヤツなら、誰もが共感できるアルバムさ”と語る。
「聴いた人が”入り込める”アルバムを作りたい」と、彼は言う。「自分のやったことが人に認められたとき、”ついに名が売れた!”という finally famous な瞬間をみんなと共感してみたいんだ。」
収録楽曲はどれもインスピレーションに溢れ、アルバム『Finally Famous』では、ハイレベルなアーティストの頭脳と芸術(ワザ)が明らかにされている。カニエ・ウェスト+ライトラックスProd.の楽曲「Made」では、ゲストMCにドレイクを迎え、「どんだけ成功しても、まだ満足できねえ」とバウンス・ビートに乗せラップしている。ファレルがコラボレート+プロデュースを手掛ける、「ゲット・イット(ドナルド・トランプ)」では、「ビッグに成り上がる」ことをラップしている。
恋愛や、男女のいざこざについても触れている。楽曲「I Almost Wrote You A Love Song(書きかけのラヴソング)」では、カップルの「すれ違い」について歌われている。「俺の長所は、すべての曲で、ありのままの自分になれることさ」と、ショーンは語っている。 「CDショップやコンサートでいろんな人と出会うんだ。涙流しながら俺のとこに来て、「あんたのおかげで、人生変わったよ!」って言ってくれる人もたくさんいるよ。」
最も多才(多彩)なるラッパー集団=G.O.O.D.ミュージックの未来を背負うアーティストとして、カニエ・ウェストが自ら選りすぐったMC、それがビッグ・ショーン。幸運なことに、ショーンにとって必要とされていた、忍耐強さ/勇気/そしてありったけの自分(ハート)を音楽に注ぎ込むという意志の強さ、このどれもが彼には備わっていた。
「8歳のとき、自分と約束したんだ。『ぜってぇ、デフ・ジャムに入ったるからな!』って」と、ショーンは言う。「この惑星のために音楽作るってのは、運命だったと思う。人々をインスパイアするため、音楽をやるため、俺は生まれてきた。友だちと遊ぶのを犠牲にしてまで、音楽やってる夜が幾夜もあった。ノイローゼにもなりかけた。でもそのおかげで、ここまで来れた。全ては、このためだったんだ。」
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