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むー のヘビメタ前夜 ハードロック入門編 Vol' 5《ロックンロールしくじり先生》チープ・トリックの成功とエンジェルの失敗

Playlist byむー

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  • 2021.03.03
  • 29:31
  • 8曲
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説明文

《ヘビメタ前夜 ハードロック入門編》第5弾は、 日本と幸せな関係を築けた男たちと 《クイーン》になれなかった男たち…… の特集をお送りします! まず《なれなかった芸人》エンジェルは、キッスのジーン・シモンズがワシントンD.C.のクラブで演奏している彼らを見て気に入り、 カサブランカ・レーベルの社長のニール・ボガートに朝の3時に電話をして、彼らと契約するように勧めた……という逸話を持つ《アメリカン・プログレッシブ・ハードロック・バンド》 デビューから2枚のアルバムは、実力を認められながら 共に全米チャート 150位代の売れ行きでした。 それでも日本には1977年 の春、来日が決まりました。 しかし、設立されたばかりの《トヨタ》という会社が、倍のギャラを払って 2月半ばに武道館公演を含む全国ツアーを持ちかけ、横取りするような形で来日させたのです。 でも2月は、受験や期末試験を控えてコンサートどころではない時期。 その年のライブ事情は、 1月終わりから2月の初めにかけてエアロスミスが、 3月の終わりから4月の初めにはキッスが来日する予定になっており、 条件として最悪な時期といえる来日になってしまいます。 このプロモーター《トヨタ》 自動車メーカーとして海外で知られるトヨタと同じ名前を名乗り、 アメリカの業界誌か何かに自社の広告を出したりして、大々的に宣伝していたらしいのですが、 何とエンジェルの来日ツアーの途中で倒産してしまいました ⤵⤵⤵ ツアーは中止。エンジェルは泣く泣くアメリカに帰国。来日前にギャラが支払われていたので、金銭的被害はありませんでした。 中止になった公演のチケットの払い戻しはなかったそうです。オーマイガー! ( ちなみに1977年に中止に追い込まれたのは、京都と名古屋公演の最後の2公演のみで他は行われています ) 倒産の原因は、エンジェル来日公演の不入り。 《トヨタ》側の言い分は 「(ミュージシャンは)顔が良くても音が良くなければ客を呼べない。」 当時のエンジェルは、人気上昇中の新人バンドといった立ち位置にいましたが、 トヨタが企画した来日ツアーは、レッド ツェッペリンやクイーンといったスーパースター並みのスケジュールでした。 しかも前に書いた通り、時期も最悪だったわけです。 おまけに前売り券が売れていなかったにもかかわらず、トヨタは来日前の時点で《武道館2DAYS》追加公演を決定してしまったのです。 トヨタは渡辺プロダクションによるクイーン来日公演の成功を見て、大儲けを狙ったのでしょうが クイーンの大成功は、渡辺プロダクションの宣伝力の賜物! 日本でのクイーンのレコード会社は、ワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン) この頃のワーナー・パイオニアは米ワーナー社と、 日本のオーディオ機器メーカーのパイオニア社、 そして渡辺プロダクションの3社が出資して設立されていました。 よって、ワーナー・パイオニアは渡辺プロのレコード会社なのです。 クイーンにアイドル的資質を見出した渡辺プロは1975年春に招聘を決めます。 当時のクイーンはシングル『キラー・クイーン』のヒットこそありましたが、 日本でいえば渋谷公会堂クラスのホールでワンマン・コンサートが出来る程度のデビュー3年目の新人。 そんな彼らに渡辺プロは、武道館を含む国内7カ所のツアーをブッキングしました。 当時、渡辺プロの朝礼で渡辺晋社長がクイーンのポスターを掲げて 「今度はこれをやる!」と発表。 「なぜウチで外タレ?」と社員も最初は大いに戸惑ったそうです。 ともあれ渡辺プロ、ワーナー・パイオニアそしてシンコーミュージック3社がタッグを組んだ強力なトロイカ体制で、 ラジオやTV、新聞雑誌等のメディアにクイーン初来日を煽るプロモーションが始まりました。 そして、1975年4月17日が来日します。 18時25分。ホノルル経由のJAL061便で羽田国際空港に降りたったメンバーは到着ゲートを出て腰を抜かす程、驚きます。 1000人を超す女性ファンでロビーは、悲鳴と歓声が響きます! 這々の体で東京プリンスホテルにたどり着くとそこにも数百人のファンが出迎えます。 翌18日は、同ホテル内で100人規模の記者会見が行われ その後は歓迎のレセプション・パーティー。 デビュー3年目の新人バンド《クイーン》は、初めて訪問した日本で、このビートルズ並みのVIP扱いに大感激します。 新人外タレ相手にまで、渡辺プロダクションは入念にプロモーションしていたのです。 クイーンは一夜にしてならず…… ところがエンジェルの場合、そこまで人気のあるバンド…で無いうえ 来日が決定した後も、トヨタはまともにエンジェル来日の宣伝をしていた様子はありませんでした。 こんなプロモーターのおかげで、日本では人気が急降下してしまったエンジェルですが、 前払いでもらった通常の2倍という莫大なギャラのおかげで、 帰国後には大掛かりな全米ツアーを行い、本国アメリカでは安定した人気を得ることとなったそうです。 《クイーン》にはなれませんでしたが ま、よかった……って事で😅 さて対するはチープ・トリック チープ・トリック(Cheap Trick)は1974年にシカゴ郊外にあるロックフォード市で結成、 1977年にデビューしたアメリカのロックバンド。 ライヴ・アルバム『チープ・トリックat武道館』がヒット作となり、日本武道館の名を世界中に知らしめたバンドとして有名である。世界での売り上げ枚数は2000万枚を超えている。 ( Wikipedia より) となっていますが、本国ではデビューアルバムはランク外、2枚目のアルバムも73位止まりと これからのアーティストでした。 そんなチープ・トリックは、1978年4月 初来日公演を行います。 1977年アルバム『CHEAP TRICK』でデビュー後、2枚のオリジナル・アルバムをリリースも世界的なセールスは振るわなかったのですが、 何故か日本では、 当時人気のあった《クイーン》《KISS》《AEROSMITH》並に人気が爆発! 私が思うに、当時TBS夕方の人気番組『ぎんざNOW!』の木曜日《 POPTEEN POPS 》でのプロモーション・ビデオによる《洋楽情報コーナー》が影響あったように思います。 あの頃は、《自分だけのベイ・シティ・ローラーズ》を探していたんですねぇ~ 《チープ・トリック》のギタリスト リック・ニールセンがインタビューでこう語ってます。 当時はまだクイーンやキッスの前座を務めていたというチープ・トリックが 「1977年頃から、とにかくファン・レターを山のように日本から貰ってた」と語ってます。 「日本で俺たちがすごい人気になってるって聞きつけてきたんだね。 実際、シングルもヒットしてて、 ほかのどんな国でもそんなことはなかったのに、確か『今夜は帰さない』が、日本では1位になったんだ。 それで「日本に行かないか?」 という話になって、飛行機に乗って着いてみたら いきなり羽田空港でファンが数千人も出迎えてくれてるんだよ(笑)。」 でもって初来日にして、 武道館2dayをソールド・アウトさせました! (嗚呼!エンジェル ⤵😭) 当時、チープ・トリックが所属した《CBSソニー》の洋楽ディレクターだった野中規雄氏のアイディア 《海外ミュージシャンの武道館公演を収録する》日本独自企画『at 武道館』の収録許諾がおりており、 4月28日・30日の2日間行われたチープ・トリックの武道館公演を収めることになりました。 音源だけでなく、映像も 2008年の年末にライヴ・フィルム『チープ・トリックat 武道館 Friday April 28th 1978』として発売され、 ファンから愛される作品となりました。 やっぱ、プロモーションって大事ですね。 《選曲》 ①『痛快なる魔術』(77年)by エンジェル……アルバム『舞踏への誘い』より ②『甘い罠』(77年)by チープ・トリック……初出アルバム『蒼ざめたハイウェイ』より 選曲は『チープ・トリック at 武道館』(78年) ③『サレンダー』(78年)by チープ・トリック……アルバム『天国の罠』より ④『魅惑のテレフォン・コール』(77年)by エンジェル……アルバム『舞踏への誘い』より ⑤『今夜は帰さない』(77年)by チープ・トリック……アルバム『蒼ざめたハイウェイ』より ⑥『エロ・キディーズ』(77年)by チープ・トリック……アルバム『チープ・トリック』より 選曲は『チープ・トリックat武道館』(78年)より ⑦『アンダー・ザ・ガン』(2019年)by エンジェル……アルバム『リィズン〜華麗なる復活〜 』 エンジェル、復活 おめでとう~🎊 ⑧『恋のアンチテーゼ』(79年)by エンジェル……アルバム『蘇った天使たち』より エンジェルは、配信があまり無いのが残念 ⤵ 私のエンジェルの《 my favorite 》は、日本のみのシングルカット曲『フィーリンライト』 是非、聴きたかった😅
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