ピアニストを志すが、第二次世界大戦中に東部戦線で手榴弾の破片を受けて負傷し、指揮に転向。
指揮をアルフレッド・シュティアー、カール・ベーム、作曲をボリス・ブラッハー、パウル・デッサウに師事。
1949年にヘルマン・アーベントロートのアシスタントとしてライプツィヒに招かれ、ライプツィヒ放送交響楽団・合唱団の指揮者となる。今日でも優秀な合唱団として名高いライプツィヒ放送合唱団の礎を築いた。
1956~1978年まで首席指揮者を務め、その後ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となる。
ドイツ再統一の直後、1990年に拳銃自殺。晩年は独特の暗い硬質さを深めた。
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