イギー・ポップ『Lust For Life』のあまり知られていない10の事実
アルバム最初のドラム・ビートから恋に落ちた。イギー・ポップの『Lust For Life』と言えば、そのタイトル・トラックを大きな音で始めるあの催眠術のようなドラム・ビートを語らないわけにはいかない。歌詞もイギー・ポップの最高作品のひとつだ。“I’m worth a million in prizes(俺は賞金100万の値打ちがある)”はロックで最も偉大なラインのひとつだ。3番目のヴァースになると、リスナーはすべての歌詞を知っている。そして知らない部分は、適当に作り上げる。『Lust For Life』はストゥージズ後のイギー・ポップのアルバムの最高傑作とされており、その40周年を記念して、このイギー・ポップの爆発的だったソロ・アルバムに関する事実を10個紹介しよう。
1. イギー・ポップの最初の3つのソロ・リリースはすべて同じ年の1977年に発表された
『Lust For Life』はイギー・ポップのストゥージズ後の初の作品となる『The Idiot』のすぐ後にリリースされた。デヴィッド・ボウイとのコラボレーションで、当時2人のミュージシャンがベルリンに住んでいたことから、ドイツ文化に強く影響を受けていた。
2. デヴィッド・ボウイは制作に関わったが、以前の作品ほどではなかった
イギー・ポップのキャリアのこの時期について話すには、デヴィッド・ボウイの存在が欠かせない。お互いにプラスになる関係性で、デヴィッド・ボウイはイギー・ポップを崖っぷちから引き戻し、イギー・ポップはデヴィッド・ボウイのクリエイティヴな源を回復させた。イギー・ポップはのちにニューヨーク・タイムス誌に「あの友情は、つまりはあの男がプロフェッショナルな意味で、そしてもしかしたら個人的な意味でも破滅から救ってくれたんだ」と語った。
3. デヴィッド・ボウイはほとんどの楽曲を横になりながら子供向けのウクレレで作曲した
タイトル・トラック「Lust For Life」の癖になるリフは、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップがベルリンにいる間、テレビで70年代の刑事シリーズ『刑事スタスキー&ハッチ』の番組が始まるのを待っている間にいつも見るAFN(アメリカン・フォース・ネットワーク)ニュースのオープニングに使用されていたモールス信号にインスパイアされた。一方で歌詞は、ストリップ、ドラッグ、催眠術にかかった鶏など、ビートニク世代の作家のウィリアム・S・バロウズの小説『爆発した切符』に影響を受けている。
4. 歌詞はほとんどイギー・ポップによるアドリブだった
イギー・ポップはいつも少ない方が豊かというソングライティングのスタイルで、歌詞に至っては子供番組の司会者スーピー・セールスがいつも子供たちにファン・レターを25ワード以下で書くように指導していることを参考にした。デヴィッド・ボウイは、イギー・ポップのインプロヴィゼーションによる歌詞のその便宜性に感心し、自身のアルバム『Heroes』でもその手法を活用してほとんどアドリブで歌詞を制作した。
5. 『Lust For Life』のリズム・セクションはスーピー・セールスの息子たちが担当した
セールスといえば、イギー・ポップは迷走しているロス時代に初めてこの素晴らしいリズム・デュオ、トニーとハント・セールスに出会い、まだ20歳だった彼らをリクルートして、新しいバンドのメンバーとしてベルリンまで連れて行った。
6. よく取り上げられるドラム・ビートは、実は2曲のヒット・ソングを真似ている
「Lust For Life」のあの有名なドラムのサウンドは数え切れないほどの曲に活用されており、最も有名なのはジェットの「Are You Going to Be My Girl」だが、オリジナルも同じようにモータウンの2つの曲から拝借されている。その2曲とは、シュープリームスのヒット「You Can’t Hurry Love(邦題:恋はあせらず)」のベニー・ベンジャミン(またはベニー・ベンジャミンのように演奏するピストル・アレン)とマーサ&ザ・ヴァンデラスの「I’m Ready For Love」であり、両曲とも「Lust For Life」の11年前にリリースされている。
今では『パンクバンドの元祖』としてリスペクトされまくっている伝説のバンド、『ストゥージズ』のボーカリストとしてデビューしたイギーポップ。
しかしデビュー当時はその暴力的な音楽性と、『ステージで身体を切り刻む』『ビール瓶を割ってその破片の上を転がりまくる』『ピーナッツバターを身体に塗りまくる』
といった破滅的なステージパフォーマンスにより、悪名ばかりが先に立ちストゥージズは全く売れませんでした。
その後トラブルが続き、3枚の伝説的アルバムを残しストゥージズは解散してしまいます。
しかしデヴィッド・ボウイだけはイギーの才能をいち早く見抜き、自らイギーをプロデュースして、なんとイギーのソロデビューさせる事に成功します。
こうして世に出たイギーは、当時出て来た『SEX PISTOLS』などパンクロック勢のリスペクトを受け、『パンクのゴッドファーザー』として大人気になります。
しかしパンクロック・ムーブメントの終わりと共にイギーの活動もだんだん縮小。その後イギーは酒やドラッグに溺れまくり、音楽業界から完全に干されてしまいます。
ここで完全にイギーとボウイの関係は終わったかに思われたのですが、ボウイは粋な方法でイギーを助けます。
過去にイギーと共作した曲「チャイナガール」を、デヴィッド・ボウイ最大の大ヒットアルバム、『レッツ・ダンス』に収録するのです。そしてその曲をライブやテレビで歌いまくり、そしてその曲が結果的に世界中で大ヒット。莫大な印税がボウイと共にイギーの元にも入っていきます。そしてその曲を一緒に作ったイギーの名前も世間に広まり、イギーのカムバックの大きな助けになったそうです。
その後イギーは映画「トレインスポッティング」に、代表曲の「Lust for Life」が使用され完全にカムバックします。更にそれによって若者のファンも獲得し、『イギーのミュージシャン人生で一番のブレイク時期。』と言っても良い時期を、なんと40代にして迎えます。そんなイギーは68歳になった今も現役で音楽活動を続けています。
そしてその「Lust for Life」をプロデュースした人物。それももちろん『デヴィッド・ボウイ』なのです。
…もっと見る