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2018.02.23✨
デニース・ウィリアムス
Deniece "Niecy" Williams
1950年6月3日 -
アメリカ合衆国の女性歌手・シンガーソングライター・音楽プロデューサー
出生名ジューン・デニース・チャンドラー
ジョニー・マティスとの二重唱「涙のデュエット」(原題: Too Much, Too Little, Too Late)、
ロイヤレッツ(英語版)のカバー「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル(英語版)」、
『フットルース』の挿入歌「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ(英語版)」などの大ヒットで知られる
インディアナ州ゲーリーに生まれる
父はペンテコステ教会の牧師、
おじはインディアナ州の同教会監督であり、
母は父と共に聖歌隊で歌っていた
デニースは、両親のあまりにも美しい歌声にプレッシャーさえ感じ、
母は特に歌手として子供のころ憧れの存在であった。
礼拝には欠かせないゴスペルを唯一の音楽とする、ペンテコステ教会の厳格な会衆の前でデニースは歌いながら育つ
母が過去に、准看護師としてシカゴの病院で勤務していたのもあり、
デニースは高校を卒業すると、メリーランド州ボルチモアのモーガン州立大学(英語版)に入り、看護師や麻酔医になるのを目指すが、1年半であきらめて自主退学している
その間にシカゴの慈善病院で病棟クラークを経験したり、
電話会社に勤めたりもするが、
ナイトクラブで歌うアルバイトを得ると、それが魅力的な楽しみになり音楽の道を選んだ
それからまもなく、スティーヴィー・ワンダーの友人で、
デニースのいとこにあたるジョン・ハリス(John Harris)から、スティーヴィーのバックバンド「ワンダーラブ」(Wonderlove)のコーラス参加の提案があって実現すると、
ツアー活動を通してプロとしての多くの経験を積むことができた
そうした数年間の貴重な音楽活動を経て、デニースはアース・ウィンド・アンド・ファイアーのリーダーであるモーリス・ホワイトに師事するようになる
さらにソロデビューに向けてプロデューサーとなったモーリスには、自分の表現力を上げることや音楽ビジネスの心得などを学んだ
結果としてスティーヴィーのもとを去ることになったデニースは、
1975年にコロムビア・レコードと契約、シンガーソングライターとしてソロデビューを果たす。
ファーストアルバムのヒットで順調なスタートを切ったデニースは、その後、数々の大ヒットを記録した
そして自身の原点である福音、ゴスペル音楽に戻ると、グラミー賞ゴスペルの各部門でたびたび受賞するに至っている
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