だから、生きづらい。
ひとが生きやすくなるためには理念が必要だろう。でも共通であってはならない。思想の統一は、うまくいった試しがないからだ。
視点を替えてみよう。
生きづらさではなく、息のしやすさについて考えてみるのは、どうか?
生きづらさは、過去の振り返りだけれど。
息のしやすさは、いまこの瞬間と瞬間の間隔ぐあい、ってところだ。
たとえば、競争はどうか。
ルールに基づいた、敗北あるいは、勝利がもたらすものは、前向きに受けとめることができる観点が、まちがいなく、ある。
競争の利点は、自分の生きやすい理念が、排除や淘汰によって始まることを、すこしは防ぐことができる。
そしてルールは、競争を繰り返し運用していくことによって、自己点検を迫られるだろう。
ほかに。
ぼくたちは生きものだから、死別によって取り残されるなんてこともたまに、ある。
しかしとはいえ、そこまでかなしみにはひたれない。なぜならあたらしい命が、いずれ生まれてくるからだ。
(じぶんのこどもじゃなかったりするけど。)
その生命たちの面倒を見なければならない。
生きづらさはその子どもたちの面倒を見ることで、すこしは楽になれるかもしれない。
人間のこどもなんて目にしたくないくらいに人生につかれているのなら、花や鳥たち(魚でもいいけど……)に目を向けてみるのはわるいことじゃない。
人間だけが、この地球に暮らしているわけじゃない。
でも、ねこやいぬに縋るのは、個人的にはおすすめしない。わかるでしょう?
ぼくたちのこの社会は、この社会を「維持すること」によって成立している。
ならば、すこしずつ、じぶんをずらしていくか……あるいは、ほかのひとたちをじぶんの敷いたレールの上のトロッコに載せてみるってのもありだ。
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