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説明文

もしも今の僕の立場。それって孤独じゃないですかと憐れむ人がいるとしたらその人は孤独の本当の意味を知らないのです。たとえば自分の意見が伝わらないとか無視される無関心であるとか仲間に見棄てられるとかそういったことが本当の孤独ではなく、そういう自分を自分自身が見棄てた時が本当の孤独なのです。 僕の目的はただ伝えたい今ある本当の危機に気づいてほしいという思いだけなのでもしそれが受け入れられないとしてもそれは僕自身の人格の至らなさ弁ずる力の未熟が原因なのであって相手を憎むなどはまったく御門違いな話でしょう。目的は一貫しているので僕は僕自身を一度も見棄てたことはなく自分自身を貶めたことも残念ながらありません。 といっても僕もそれなりに感情を持つ人間。しかも振幅の大きい感情に左右されやすい。もっと理性的であるべきかと反省することもありますが仕方ない。だって人間だもの(  ̄▽ ̄)ミツオ。よく世間の実情 認識の壁などに落ち込んだり嘆いたりしていましたがそんな時は何処からか 甘えんなよ。 という声が聞こえてきます。それはかつて大きな嵐の中で戦ってくれた先人たちの声。身近なところでは祖国のために戦い戦場で散っていった兵士、戦後の復興と豊かさを求めて懸命に働いた人たち、様々な嵐をくぐり抜けてきた人たちの声です。 僕らが享受してきた自由や平和などは彼ら先人たちの貴い命の上に築かれた本当に貴い自由であり平和であるわけです。それを僕らは安易にただ当たり前のように貪るだけでいいのか?今は再びこの真の自由や平和が脅かされておりそれは僕らが戦い勝ち取らねばならぬものへと変貌しつつあるのです。そのために戦うということは未来の子供たちのためでもあるのです。 僕自身のことを云えば僕はこれまで親兄弟を始めほんとに多くの人たちから愛を貰ってきました。思い返せばほんとに多くの人たちの顔が浮かんできます。もうこれからはそれを恩返ししていく時期に来ています。僕自身のちっぽけな幸せなどはもうどうでもいいのです。たとえ僕自身が今恵まれて幸せであったとしても身近な誰かが不幸であったり社会そのものが不幸であれば本当の幸せを感じることが出来ないのです。旭川の少女の悲劇の詳細を知れば僕は泣くのです。無関心ではいられないのです。 共感する力を愛と呼ぶなら僕にも愛はあるのでしょう。ほとんどすべての人が持っているのは間違いないでしょう。この共感する力を持ち続けているならそれだけで僕らは誰も孤独ではないのです。共感によって僕らはいつでも一つになれるのです。 共感する力─その繊細さと優しさは日本人の特性の一つだと僕は思っています。その力をもって来たる真の嵐に向かい僕らが一つになって立ち向かう日が来ることを僕はいつでも夢見ています。
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