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説明文

<フランドル地方>     歴史上のフランドルは現在のフランス、ベルギー、オランダの一部も含む低地地方。中世以来毛織物業が興隆し、13世紀以降国際的に評価され、ルネサンス時代には経済的な繁栄の頂点にあった。こうした中、多くのすぐれた職人や芸術家が育っていった。     ジョスカン以降、フランドルの政治情勢は苦難の道をたどる。1477年にブルゴーニュ公シャルルが死亡、後継ぎがないために公国はフランス領となり、その属領であるフランドルはハプスブルク家領となった。1555年に継承したスペイン王フェリペ二世は即位後、カトリックの立場による統一政策を強行。自由の特権を誇ってきたフランドルに強い弾圧を加え、外国の地にあるフランドルの音楽家は帰るべき地を失った。 <フランドル楽派>     ルネサンス(1400-1600)のヨーロッパ音楽の一大勢力。16世紀後半になると各地に独自の楽派が誕生し終焉を向かえた。 <音楽技法>     一口で言えば、ポリフォニーへの顕著な傾向。先行したブルゴーニュ楽派が3声での書法中心だったのに対し、フランドル楽派は4声を中心とした。  その楽曲の各声部はそれぞれ際だった性格をもち、独立した旋律線を紡ぎだすと同時に、それぞれの声部の均衡とハーモニーの美しさに、ポリフォニー技法のひとつの極致ともいうべき形を完成。  つまり音楽書法としては、ルネサンス期の音楽は中世の音楽をより洗練させた以外に、きわだった特徴を持っていない。しかし、音を作曲家の表現意欲に従って積み上げ、典礼性よりも芸術性をより重視した音楽を創り出そうとする力の方向にこそ、フランドル楽派の特徴があるとも言える。 <フランドル楽派の世代区分> ・1420-70年代  Ockeghem(c.1425-97)が代表的。ブルゴーニュ楽派最大の作曲家Dufay(c.1400-74)の影響が強い。長短3、6度の和音を用いた3和音を思わせる和声法。特に低声部の充足は立体的な音空間を形成。 ・1447-70年代  Josquin des Prez(c.1440-1521)が代表的(後述)。他に、Obrecht(c.1450-1505)、Isaac(c.1450-1517)、La Rue(c.1460-1518)、Brumel(c.1460-c.1520)など。 ・1480-1510年代  Clemens non Papa(c.1510-c.1555)、ヴェネツィア楽派の創始者Willaert(1490-1562)、ヴィーラルトの弟子となりマドリガーレの名作を残したCipriano de Rore(c.1516-65)、Gombert(c.1500-c.1556)、Arcadelt(c.1500-68)が並ぶ。 ・1520-40年代  フランドル楽派最後の頂点はLassus(1532-94)。フランドル楽派によって培われてきた書法を総括、駆使。限りなくバロックへの近寄りを示し、絵画におけるマニエリスムを思わせる傾向さえ感じられる劇的な音楽。     Sweelinck(1562-1621)は一般にはプロテスタント系のオルガン音楽の祖として捉えられるが、フランドル楽派最後の人として声楽曲も多数残している。 <Josquin des Prez>     ダ・ヴィンチが美術において果たした役割を、音楽において果たした。若いときはローマ、ミラノで、後にフランスでも活躍。すぐれた模倣様式の確立と、書法と表現の融合。ルターは、「他の音楽家たちは音に支配されているのに対して、ジョスカンのみは音を意のままに支配する」と讃えた。音楽理論家グラレアヌスは、ジョスカンの音楽を「完全な芸術」と讃えた。  ジョスカンは、何れの領域に置いても多くの傑作を残しており、すべての領域に置いて、前代まで展開されて来た作曲様式に、新しい手法を付け加え、ルネサンス音楽の頂点を築いた。  特にミサ曲で、それまではほとんど一つの声部(低音部)のみに限定されていた共通の定旋律を全声部に広げ、なおかつ、先行する声部の旋律が一定の間隔を置いて他の声部に再現する「模倣」の書式を多用し、各声部がお互いに模倣しあいながら、それぞれ独自の旋律を展開してゆくという、通模倣様式と呼ばれる音楽書式を完成させた。
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