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「DJ MAMEZUKA」が選ぶフジロック・プレイリスト!

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  • 2019.10.08
  • 48:19
  • 8曲
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フジロックを支える、ゆかりある方が選曲するプレイリスト「FUJIROCK LOVERS」!今プレイリストでは、FUJI ROCK FESTIVALの前夜祭の顔として10年以上DJを任されている「DJ MAMEZUKA」氏が楽曲をセレクト。 本人の熱い想いの詰まったコメントと共にお楽しみください! ------------------------------- ☆雨あがりの夜空に - RCサクセション 清志郎さんの曲を挙げたら切りがない。この曲は、彼が新しい世界へ旅に出た年の前夜祭、僕がDJで最後にかけた曲。曲が終わり、このレコードジャケットをDJブースに飾ると、皆んなが写真を撮っていた事を思いだす。 本当は"田舎へ行こう! ~Going Up The Country~"を挙げるつもりがAWAのリストに無くて(AWAさんお願いします)。清志郎さんが前夜祭に急遽出演した時、"デイ・ドリーム・ビリーバー"を聴きながら自然に涙が溢れ出たり、あの大きなグリーンステージで矢野顕子さんと二人きりでデュエットした"ひとつだけ"で泣きそうになったり、"LONG TIME AGO"で拳を上げたり、"JUMP"も"サンシャイン・ラブ"も"スローバラード"も"Baby何もかも"挙げたい。 ☆Daydream Biliever - ONDA VAGA '12年の前夜祭、ONDA VAGAが僕のDJで踊りながらライブセッティングしているのを観て、僕も彼らにアゲられる。自然にポーグス、マノ・ネグラがレコードバックから出てくる。クラッシュでバトンタッチ。 南米フォルクローレの血をしっかり受け継ぎ、そこに彼ら独自のスパイスをいっぱい効かせたアコースティックで温もりある熱い曲達。その中にはザ・タイマーズの"デイ・ドリーム・ビリーバー"もいた。この曲ではレッドマーキー中が大合唱に。その場にいる皆んなを温かく笑顔にする最高のライブ! 彼らのライブ後、僕は自然に、勿論レコードを選んではいるけど、ごく自然にRCサクセションの"ラブ・ミー・テンダー"をかけた。 ☆Buzzin' - Asian Dub Foundation '98年 フジロック直前の前夜祭として恵比寿ガーデンホールで行われた"THE PARTY"。メインではADFやブンブンサテライツにDJ、ロビーでもDJ、楽屋にもブースがあり、僕はここでバックステージDJをしていた。この時のADFのライブは殆ど味わえなかったが、多くのスタッフやADFのメンバーが楽しそうに騒ぎ回っているまさにパーティーだった。 そしてフジロック本番。DJでかけ続けていた"Buzzin'"のギターイントロが鳴った時は鳥肌が立った。続けて"Free Satpal Ram"。 ADFは脈々と続く熱いメッセージを僕らに投げかける。支配搾取する側への抵抗と僕ら民衆の連帯。 ジョー・ストラマーやマヌ・チャオ、フェルミン・ムグルサ、ソウル・フラワー・ユニオン等々、このメッセージを胸に、皆んなと共に楽しもうとするライブをしている。 ☆Rez - UNDERWORLD 苗場に移った最初の年。'99年1日目のホワイトステージ。山の中、星空の下でのアンダーワールド。"Born Slippy Nuxx"からの"Rez"。ライブ中に流れ星。心も身体も熱くなりながら感動してた。ダンスミュージックならではの高揚感。 "Rez"を初めて聴いた時の衝撃は今でも覚えている。興奮しながらこんな曲がかかっているクラブをやりたいって友達に聴かせた。その年に京都でmushroomというクラブをプロデュースした。 苗場1年目のこの年、僕はずっと感動してた。会う人会う人皆んながいい顔していて目が会えばハイタッチ。ゴミがあれば皆んなで拾い愛、しんどそうな人がいれば皆んなで大丈夫?って声をかけてた。小規模の野外レイブパーティーでは当たり前の事だったけど、何十倍、何百倍規模のフジロックで同じ事が自然に起きていた。 ☆Pチャン - 渋さ知らズオーケストラ 初渋さ体験は衝撃だった。観た、聴いたじゃなく、まさに体感。その場にいる皆んなが身体も魂も解き放っている感じ。ふんどし、セクシーダンサー、舞踏、宙を舞うドラゴン、オーケストラ。変なものだらけ。これやこれ!って感じ。 今の社会はハミ出るものには蓋をして、ないものにしてしまう。でも渋さには変な人達がちゃんといる。突き抜けたカオスは今の祭り。 フジロックに一度出ているタートルアイランドもまさに今の祭り。愛知の豊田で橋の下世界音楽祭というぶっとい祭りをやっていて渋さと繋がる。 数年後に渋さがグリーンステージで演った時、僕の友達はぶっ飛んだ格好に泡盛抱えてステージに上がり、メンバーに飲ませ回っていた。かなり面白い光景だった。やっぱり渋さは懐が深かった。 ☆The Passenger - IGGY POP '03年 雨の中でのビョーク。ライブというより前衛アートの演劇のようで凄かったけど、なんか傍観者になるのがイヤだった。気が付いたらさっきから聴こえていたイギーポップのステージに走っていた。 この時のイギーが何を演奏したか殆ど覚えていない。パッセンジャーもやったかどうかわからない。でもひとつだけ覚えていて、皆んなをステージに上げていた。 プライマル・スクリームがスクリーマデリカを世に出し、クラブチッタでライブをやった時も皆んなをステージに上げていた。(このライブに勝るプライマルのライブを今だに経験してない) イギーは、東京のフジロックも、ストゥージズの時も毎回これをやる。いつもステージが大変な事になって、いつも困った顔をしているけど毎回やる。「皆んなで一緒にライブをつくるんだ。」っていうイギーのメッセージ。格好悪くて、たまらなく格好良い。 ☆The Rhythm Changes - KAMASI WASHINGTON '16年、フジロックの20周年。レッチリの裏でのカマシ・ワシントン。ここに集まった人達とバンドメンバーが音楽で繋がって出来た温かい雰囲気は、フロア中を覆っていた。 他にもフジロックらしい'14年 ポーグスのライブ。最初は皆んなが熱い曲を求めてたけど、ヨレヨレになったボーカルのシェインを観て、優しく見守るライブになっていった。 '11年 GOMA & THE JUNGLE RHYTHM SECTION。ゴマちゃんの事故後遺症を乗り越えての復活に皆んなが喜び、多くの「お帰り!」の声。ゴマちゃんも皆んなも泣いていた。 それぞれのライブが温かくて、まさにフジロックでしか味わえないライブだった。 ☆POWER TO THE PEOPLE - JOHN LENNON フジロック最終日、グリーンステージで毎年最後に流れる曲。 実はあまりその場にいないけど、この曲からは逃げられない。シンプルでストレートで、両肩をしっかり掴まれるように真正面から歌い語りかけてくるから逃げられない。自分も真正面から向き合おうと思う力ある曲。 この曲が産まれて40年以上経つというのに、世界は未だにこの曲を必要といている。いつの日にかこの曲をみんなで歌わなくていい日が来るまでDJでかけ続けようと思う。 ===================== DJ MAMEZUKA 小学時代に忌野清志郎、中学時代にJOHN LENNONから音楽と詞の持つ圧倒的なパワーを受け取る。10代はROCK浸けのLIVE HOUSE通い。20代前半にDJをスタート。2nd SUMMER OF LOVEを体現したPRIMAL SCREAMやSTONE ROSESのステージとフロアの垣根を取り払い、送り手・受け手の関係を越えたLIVEに衝撃を受けDANCE MUSICに未来を感じる。'90年代、京都で今や伝説のCLUB『mushroom』をプロデュースし、関西のテクノ・ハウスシーンを牽引。 『mushroom』クローズ後、数々のパーティーをDJ/オーガナイズ。CHEMICAL BROTHERS、FATBOY SLIM、DAFT PUNK、BASEMENT JAXX等と共演し「FUJI ROCK FESTIVAL」や「朝霧Jam」にも出演。ROCKの持つパワーとDANCE MUSICが繋ぐ一体感を胸に、「FUJI ROCK FESTIVAL」では前夜祭の顔として10年以上DJを任されている。 心を揺さ振り動かすことが出来る音楽の可能性を信じてDJブースからメッセージを送り続けている =====================
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