1985年に当時の東芝EMIに移籍し、2月、極寒の西ベルリン・ハンザ・トンスタジオで新たなスタートを切ったBOØWY。1988年までの短くも熱く激しい活動期間の中で残してくれた作品の中から、冬に聴きたい12曲を担当ディレクターの独断で選曲してみた。
① CLOUDY HEART(Single Version)
BOØWYの代表曲中の代表曲。この作品があったからBOØWYが存在したと言っても過言ではないだろう。最初のベルリンレコーディングで完成し、さらに最後のシングルとなった「季節が君だけを変える」のB面としてBOØWYの最後を飾った最高傑作である。このシングルヴァージョンはアルバムヴァージョンよりもさらに切なさが加わり、氷室のボーカルが胸に突き刺さる。
② 季節が君だけを変える
アルバム「PSYCHOPATH」からカットされた最後のシングル。この曲を聴いて、バンドの解散を予感した人もいたのではないだろうか。メンバーがほとんど出ないミュージックビデオは賛否を呼んだが、BOØWYというバンドが単なるビートバンドではないということを一番証明している楽曲ではないだろうか。BOØWYとしてはめずらしい日本語タイトルには氷室流の「文学」を強く感じる。そしてこの曲のキャラクターを決定づけている「イントロ」はノーベル賞ものである。
③ Welcome to the twilight
歌詞がまだ付いていないデモテープを聞いたときに、「クリスマスソング」にしたらどうだろうという提案をバンドにしたが、結果的にはそうならなかった。ならなくて良かったと今は思っているが、BOØWYの中で最も「冬」を感じさせる曲ではないだろうか。「アレスクラ」というドイツ語がこの曲の切なさをさらに引き立たせている。
④ LONGER THAN FOREVER
BOØWYのラブソングの中でも特に人気の高い楽曲。「転がるグラスが嘘の数だけ」「しゃべりすぎたから少し眠るよ」「今さらの愛と笑ってもいいぜ」「正直に言うと今夜キメたから」など歌詞が実に素晴らしい。最後の「THANK YOU FOR WAITING I LOVE YOU LONGER THAN FOREVER」という一節は何度聴いても、ぐっとこみ上げるものがある。
⑤ MEMORY
1998年のベストアルバム「THIS BOØWY」リリースに際してプロモーションの核となった曲。BOØWYはビート系バンドというスタイル、ファッションやライブのパフォーマンス面で語られることが多いが、個人的には「歌詞」の世界観に大きな魅力を感じていた。この作品も「何も知らない 笑顔のフォトグラフ She lives in my memory」というサビのフレーズがいつまでも心の中に残る名曲中の名曲。
⑥ わがままジュリエット
アッパーなビートバンドという印象の強かったBOØWYが名盤「JUST A HERO」に先駆けてリリースしたミディアムテンポのシングル曲。ボーカリスト氷室の魅力と存在感を前面に打ち出したこの作品の成功により、メジャーブレイクに向けて大きくステップアップした。当時、ある高校生がラジオでこの曲を聴き、衝撃を受け、「日本の音楽が変わった!」と思ったという話を10数年後にその本人から聞いた時、あらためて喜びが込み上げてきた。
⑦ B・E・L・I・E・V・E
BOØWYとしては数少ないバラード曲。氷室の圧倒的なボーカル力が際立った作品である。BOØWYのライブは2時間弱の中でMCも少なく、アッパーな作品を中心に全速力で駆け抜けるスタイルであったが、このバラード曲には固唾を飲んで聴き入った記憶がよみがえる。歌詞を見ながら聴いてもらうと更に楽曲の魅力が広がるであろう。
⑧ ONLY YOU
初のチャート1位を記録したアルバム「BEAT EMOTION」からのセカンドシングルであり、BOØWYの人気を決定づけた作品。レコーディング中からこの曲はシングルにすると決めていた。「俺の胸の泪を ピリオドにかえて」「明日からを よりそう様に生きていけるネ」という前向きなメッセージが実に心地よい。BOØWYのライブではお客さんが一緒に歌うという事が多かったが、この曲は特に人気の高かった曲である。
⑨ 16
最初のベルリンレコーディングにおいて一番、最後に歌入れを行った作品。アルバムには収録せず、シングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」のB面に収録され、コアファンの間では非常に人気の高い曲。イントロがなく、いきなり氷室のボーカルで始まるこの曲は、ぜひイヤホンかヘッドフォンで聴いて、氷室の息遣いやベルリンの空気を感じ取って貰いたい。
⑩ DREAMIN’
BOØWYはあの時代において、存在そのものに大きなメッセージがあり、作品にもそのメッセージが大きく反映されたが、その中でも最も色濃く反映された楽曲が「DREAMIN’」であろう。その「精神」が受け継がれていく限り、BOØWYの音楽は色褪せることなく、輝き続け、多くの人の心の中に残っていくであろう。
⑪ RAIN IN MY HEART
松井常松(恒松)作詞によるこの作品は隠れた名曲として人気の高い楽曲である。松井常松は氷室のライブMCにもあるように「シブい男」「寡黙なベーシスト」としてBOØWYというバンドの中で特異な存在感を醸し出していた。その彼のソロ活動後の作品像にもつながるような彼の「やさしさ」「繊細さ」が詞の中ににじみ出ている。1959年に22歳という若さで飛行機事故が原因で亡くなり、映画「アメリカン・グラフィティー」の中で「彼が死んでロックンロールは終わった」とまで言わしめたバディー・ホリーが、実質2年半の活動において生み出した作品の中に「RAINING IN MY HEART」という、とても切ないロックンロール・クラシックがあるが、BOØWYの「RAIN IN MY HEART」はそれに匹敵する名曲である。ロックンロールの遺伝子は海を渡り、時代を超えて生き続けている。
⑫ LIAR GIRL
BOØWY最後のオリジナルアルバムとなった「PSYCHOPATH」のレコーディングはハードスケジュールの合間を縫って東京・六本木のセディックスタジオで行われたが、仕上げの作業であるトラックダウンはBOØWYにとっての想い出の地であるベルリンのハンザ・トンスタジオで行われた。東芝EMI移籍第1弾アルバム「BOØWY」をレコーディングした真冬の季節とは打って変わった初夏という時期であったにもかかわらず、ベルリンという歴史的な街が持つ緊張感を飲み込んだこのアルバムは、氷室の紡ぐ歌詞と相まって、BOØWYのアルバムの中でも、もっとも真冬の張り詰めた空気を感じさせてくれる、ロックなアルバムになった。そのアルバムのオープニングを飾るのがこの「LIAR GIRL」であり、アルバムが発売されたその年の暮れ、12月24日の『解散宣言』につながっていく、まさに「終わりの始まり」を感じさせる名曲であった。アルバム制作の最後の作業として「曲順決め」があるが、そのもっともポイントとなるA面1曲目に関してはどのアルバムでも悩んだことがなかったと記憶している。「DREAMIN’」「DANCING IN THE PLEASURE LAND」「B・BLUE」そしてこの「LIAR GIRL」はなるべくしてA面の1曲目になったのであろう。そしてアルバム「PSYCHOPATH」発売後の最後のツアーが「LIAR GIRL」から始まったのも、必然的な流れであったのだろう。イントロのフレーズが頭の中をグルグルとループして消えないのは私だけではないだろう。思い出深い1曲である。
担当ディレクター:子安次郎(元東芝EMI)
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