たぶん志村けんショックのせいかもしれない。
ふだんあまりテレビは見ないほうだったんですが志村けんが亡くなったという衝撃で新型コロナの恐怖が植えつけられてテレビの報道とか真面目に見るようになり緊急事態宣言後の日々の感染者数を気にしたりなどテレビの情報にすっぽり取り込まれた状態に陥ってしまいあることをすっかり忘れてました。─テレビは嘘を平気で伝えるということを。
それを思い出させてくれたのは例の北大教授が試算したという重篤者85万死者42万という数字。何も対策を取らなかった場合って。そんなのいる?どうやったらこんな数字が出てくるのかまったく分かりませんが確率でものをいうなら幾らでも数字をでっち上げることは出来るわけでこれは国民に対する脅しでしかない。厚労省の対策委員の一人が出した試算でもあるしテレビ局もこれを流さないわけにはいかないのかもしれませんがどうもむしろ率先的に流してるように見えますね。
そもそも公共の電波を扱うテレビ局があらゆる情報を公平に偏頗なく事実のままに伝えるものだと思ったら大間違いで過去の事例で明らかなように彼等はその時々の行政府に対する忖度の結果だかなんだか知りませんがあらゆるインパクトのある映像などを駆使して意図的に民心を誘導します。NHKはそういうものの道具としてあるわけで他の民放なども政府批判など自由にやっているように見えますが基本的に右に倣えの同類です。基本的に─というのは彼等マスメディア自身が意図的に作り上げた社会的コンセンサスには忠実ということです。主だったものを例にあげると〈地球温暖化〉と〈禁煙嫌煙キャンペーン〉。今や見事なまでに社会的コンセンサスになっちゃいましたね。困ったことにこのメディアが作り上げた社会的コンセンサスを大衆は正義だと勘違いしてそれに反する言動を敵視するようになり激しいバッシングを浴びせる対象となります。本当はいろんな意見があっていいんですけどね。戦時中の‘非国民!’の時代からちっとも変わらない構造がここにはあります。こういうギスギスした社会を作っているのはメディアの責任であると云っても過言ではない気がします。
そういうメディアの代表としてのテレビが犯した罪というものを考えてみますとやはり福島の原発事故のケースでしょう。これは〈地球温暖化〉と地続きでそもそもこれは原発の本格的稼働推進のためのキャンペーンに使用されたネーミングだったわけです。英語の直訳なら〈気候変動〉というべき所を敢えて〈地球温暖化〉と言い換えてCO2を出さないクリーンなエネルギーを という触れ込みですわね。実際はCO2よりもっと危険なものをばらまいちゃったわけですけどね。そんな詐欺まがいなキャンペーンの結果としてあの原発事故があったと云っても間違いではないでしょう。
そういえばあの事故の翌日新宿で基準値を超えた相当量の放射線量が観測されたという報道があったけれどその後はぷっつり報道されなくなりましたっけ。忖度が働いたんでしょうか?あとトモダチ作戦とかで米軍が救援に送った船の乗組員がもろに被曝してその後全員が体調を崩して退役しているという事実を小泉さんが涙ながらに訴えていた気がしますがそういうものもあまり積極的に報道されることがない。原発周辺の子供たちに多数の甲状腺異常が見つかっているという事実も報道しない。それがテレビジョンの現実ですね。
そしてあの時一番赦せなかったのは〈風評被害〉という言葉を作り出して〈食べて助けようキャンペーン〉をテレビが張ったこと。TOKIOかなんか使って盛んにやってましたね。本来は政府が全部買い上げるかして農業漁業関係者を救済するべきであったのに実際に安全かどうかも保証できないものを安全だといって食べさせるという国民の善意を利用するその卑劣さ。そのお先棒を担いだテレビの醜さ。それが原因かどうかは分かりませんが目覚ましテレビで毎朝福島の野菜を食べていた司会者の方が白血病になってしまいましたよね。
さて。テレビがいかに胡散臭いシロモノかということをこれまで長々と語ってきたわけですが本題はこれから(現在のコンセンサスとなっている新型コロナが恐い!について)─だったんですがあまりに長くなってしまったので次の機会に。気が向いたらね。
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