こんにちは。オーランドです。
おそく起きた晴れた休日は、ジックリと淹れたコーヒーを家でゆっくり飲む。
白いフラットで黄身がかった薩摩焼きの皿にこんがりと焼けた2枚のトーストを置き、そのトーストにバターを乗せる。
理科室のシャーレを少し高くしたような玻璃の器にヨーグルト、3つ苺を入れて遅い朝餉の完成。
午後ふらふら鎌倉でそぞろ歩き。
小町通りを散歩して、極楽寺、古民家カフェでのんびり。
街路の猫がゆっくり気持ちよさそうに欠伸している。
気づいたら七里ガ浜まで来ていたようです。潮風がとても気持ちいい。遠くの方にうっすら富士山が見える。
そうだ、この辺は、志賀直哉、芥川龍之介が避暑に来ていたのですね。
彼らが逗留した東屋まで歩く。
少し歩いて、江ノ島から鵠沼の東屋跡まで。鵠沼海岸からは蜃気楼は見えないかな。
芥川龍之介は、ここから蜃気楼を見たのかなとふと思い浮かべる。
芥川の「蜃気楼」の一節。
《或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。鵠沼の海岸に蜃気楼の見えることは誰でももう知っているであろう。現に僕の家うちの女中などは逆まに舟の映ったのを見、「この間の新聞に出ていた写真とそっくりですよ。」などと感心していた。
…
「どうもこの頃は蜃気楼ばやりだな。」
…
蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等はいずれも腹這になり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。が、その外には砂浜にある船の影も何も見えなかった。
「あれを蜃気楼と云うんですかね?」
》
水平線の向こうには綺麗な蒼穹と雲が広がっている。
鵠沼の海岸沿いの海の家は解体されている途中、ガテンな人がトラックに剥がしたベニア板を積み込んでいる。
海岸の水着の女子も疎ら、夏が終わるのですね。
夏の太陽で海の家のペンキで描かれた椰子と波のロゴが褪せている、遠くに江ノ島のシーキャンドルが見えた。
PS. ムーミンのスナフキンが呟いたように「長い旅行に必要なのは、大きなカバンじゃなく口ずさめる一つの歌」
人生も旅であるならば、ただ一つ、あなたが持っていく音楽はなんですか?
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