死が訪れれば別れがくる、しかし想いは残る。
それは綺麗なものだけではなく怨みや哀しみも。
逝く者は未来に願いを託し空へ還る。
空はいつの時代も変わらず、其処に在る。
どの時代でも死は訪れるもので、その死を越え
生きながら、自分にその時が訪れるまで生きることをする。
という曲でまとめました。
こっからまた余談な上に稚拙な文章でしかも長いので、お時間がありヒマな方、一応読んでやるかという方はお付き合い頂きますと幸いです。
先に言っておきますが、あくまで自分の中でという意味なので1つ1つのプレイリスト単独で成立してます。
実はプレイリスト1つ目「叶わぬ願い」と2つ目「運命は残酷に哀しく」と、この3つ目「時を超えて」は1つの大きなテーマで括っています。
そのテーマは「死も別れもそこで終りではない」というもの。
様々な形の別れがあり、そこに残るのが愛や恋や優しさだったり、また怨みや怒りや哀しみも。
それは相手が、もしくは自分が死んだところで「はい終り」とはならないと思うのです。
どういう意味かというと、そういった伝説や伝承や物語が残っている事、そしてそれを形を変えて伝えてくれる人達がいて、それを受け取る人達がいて、そこからまた拡がったり伝えたり。
例えば「累」で言えば、累と助が死んでしまってそれで終りにはならず、「累ヶ淵」という物語として残した誰かが居て、そしてそれを「累」という曲にして歌と演奏で表現してくれる陰陽座がいて、それを受け取る式神の皆さんがいて、その式神の誰かが何かの形にしたり、形にはしてなくても「こんな曲があるんだよ、こんな物語があるんだよ」と教えたりする。
そうする事で、また残っていく。
だから死や別れが来てもそこで終りではない、と思うのです(2回目)
また個人的な想いですが、陰陽座もいつかは活動が無くなる時が来ます。
もちろん陰陽座に限りませんし、全ての人が自身の好きなアーティストや作品の作者の方、また家族や友人や恋人や伴侶との別れが待ってます。
しかし、そこで終りではないと思います(3回目)
陰陽座の活動が無くなっても作品は残りますし、陰陽座が伝えてくれた意志や魂は残り続けます。
だから、その屍を越えて行きます。
そして、いつか別れが来るからこそ、その限られた時間の中で死んでも死ぬまで生きることをするのだと思ってます。
陰陽座道とは「生きることとみつけたり」ということですね♪
長文お付き合い頂き、ありがとうございました。
…もっと見る