こんなことが有り得るのか。対峙した2人はそう思ったかもしれない。2人の連続快楽殺人者が、一方が鎖に繋がれ、その一方は檻の主人であった。いずれも冷えた脳に異常な閃きを秘め、人のふりをして人に近づいて、それを捕らえてはその命が最後、仄かに震えるまで苦痛と恐怖を与え続けることを至福とする狂人である。(殺せば良い…)と思ったであろう。だが、おもむろに語りだした鎖の主の物語に、檻の主が手にした刃は2度と主人の道具となることは無かった。それだけ狂人を酔わせる狂った語りは、一章ごとに一つの拷問道具とその精妙な使い方、時間が刻むが如く薄く削がれた命の物語、それは山の頂きから染みだした苦痛がやがて血の大海に流れ着く様を生き生きと語っていた。その様式美、哲学、命の倫理、道具に対する愛情を感じて、檻の主はこの檻に必要な物、そして、思想を感じとったのだった。だが、(殺せば良い…)と思ったのは繋がれた主も同じである。老齢な殺人者は、手を使わず相手を殺すことの生きがいをたった今、目の前の相手に見出だしたのだった。さて、お互いの人生が交差した檻の中で誰が真の主人となるか。誰がその道具を手に出来るのかの対峙が始まろうとしていた。「まずは私が言う相手を連れてこい…。獲物は選ぶものだ…。」と鎖の主は言った。「お前の料理を食わせてみろ…。」外の雨音がこの檻にかすかに聞こえていた。
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