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説明文

<エピソード> ショパンが持病の肺結核の静養のため、スキャンダラスな恋仲にあったジョルジュ・サンドと地中海に浮かぶ島マヨルカ島へ逃避行したときのこと。病をこじらせて死の淵をさまようほど悪化した。 ある日、サンドは看病していたショパンを修道院に残して買い物へ行き、嵐のため帰りが夜中になった。彼女が帰ると、ショパンは不安に苛まれながら作曲したばかりの曲を弾いてた。その曲こそが「雨だれ」だった。 サンドの回想録に「この夜の彼の作品は、マヨルカ島のヴァルテモ―ザ修道院の瓦の上で反響する雨のしずくに満ちていたが、そのしずくは、彼の想像と音楽のなかでは、彼の心に天から落ちる涙となっていた」と書かれていた。 <曲の特徴> ショパンの《前奏曲》は、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》(24ある全ての調性が使われた音楽史上初の作品)にヒントを得たもの。 「雨だれ」はA・B・Aという3つの部分から成る。Aの部分は変ニ長調で優美。Bの部分は嬰ハ短調で厳しい現実を表現。全く雰囲気の異なるAとBだが、雨音のように鳴り響く同音の連打音が曲を貫く。 1.この曲の濃厚で重たい面を打ち出した、オーソドックスな演奏。 2.ポーランドのローカル色濃い素朴さ。曲に自然に語らせ、かつ味わいの深い、極めて完成度の高い演奏。 1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールでウラディーミル・アシュケナージ、フー・ツォンを抑えて優勝。 3.フルトヴェングラーをして「ピアノの吟遊詩人」と言わしめた。バルトークと交友関係があった。 美しい音と自然で滑らかな演奏技巧。 4.10歳でアラウに将来を嘱望される。15歳でフランス、ソ連、イギリスの政府より奨学金の申し出を受け、パリ音楽院に入学。P.サンカンの作曲科にも学び、ピアノ、室内楽、和声法、対位法の4科で首席卒業。78年、エリーザベト王妃国際コンクールで審査員全員一致による優勝、併せて聴衆賞を受賞。 本作は、知的で奥深い、統一感のある名演。 5.剛直な演奏スタイル。 6.チェコのピアニスト。半世紀にわたる演奏・録音活動と軽快なタッチが作り出す透明感ある美音、卓越した演奏技巧により、世界的な支持を集めた。 7.1959年モスクワに生まれ、5歳からピアノをはじめ、7歳でロシア中央音楽院に入学その後、モスクワ音楽院に進み、ネイガウスに師事。 1983年、西ドイツに亡命、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院でライグラフに師事。 1987年、「エリザベート王妃国際コンクール」で審査員全員を圧倒する演奏で優勝。 1995年、自家用車による単独事故をおこし35歳で夭折。 内向的で一途な性格で、流麗かつ壮麗な一本筋の通った演奏スタイル。 8.アルフレッド・コルトーの弟子イヴォンヌ・ユベールに師事し、ウィーンでディーター・ヴェーバー、のちアルトゥール・シュナーベルの弟子レオン・フライシャーに師事。13歳でモントリオール交響楽団と共演してデビュー。1984年度のブゾーニ国際ピアノコンクールで第一位を獲得し、同年、リーズ国際ピアノコンクールでも第四位を獲得。 繊細、静謐で立体感のある演奏スタイル。
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