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説明文

フレディマーキュリーへの鎮魂歌。その魂を慰め、その痛みを鎮めるものは何か。彼の歌は彼自身にカタルシスを与え、もしくは、その歌を聴くものに彼自身が何であるかを語らせただろう。だけど、それよりも彼は時代の中のmisfitsでありhookerであることを自覚し、そのsexualityだけでなく、性的快楽に依存し、家族や友人を持てず、自己嫌悪に苛まれる。一夜のパーティーの後のごみ溜めの中で一人目覚める感覚。これをあの数々のアルバムの中で表現してたことにあの頃、僕は気付かなかった。気付けるはずもなかった。その頃は僕は無邪気だったから。ただ、聴いていて違和感を感じてた。それが何であるかは、大人になるまで当然知らなかった。それは嘘。彼は女の美しさや気品に憧憬し(デートリッヒのポートレート)ながら、男の強さを自身が纏うことで逃げ(判で押した髯と皮ジャンと筋肉)、また、現実世界で、まわりにいる女、男らの無自覚な理性への自己陶酔、あるいは彼ら彼女らの持って生まれた性への諦めのような傲慢、そして、性を剥き出しにしてくるものへの敵意、その狂気の中で追い込まれ閉塞してゆく彼自身。僕はそれを見て打ちのめされた。彼の音楽は、最初から最後まで、勝利も敗北も無い、喜劇にも悲劇にも辿り着かない彼へのレクイエムであり、80年代に無邪気にアル・パチーノに憧れ、7ペソで映画館へ行き、間違って、そこで男を漁りに来ていた奴に僕の快楽をその手で押し広げられた、僕自身へのレクイエムでもあった。また嘘。そんなかっこいい現実はありはしない。実は僕は生まれたその日から、誰かにこのこころとからだを汚された。という刻印を打ってほしかった。嘘。だけど、代わりに奴に快楽というものを与えられ、ただただ、あれが欲しい、これが欲しいという渇望に飢える亡者になってしまって…は嘘。嘘の嘘は本当の本当?。
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