木の枝にいる鶯は豪快に鳴き、 穏やかな季節の訪れを 教えてくれる。 温かくなると 優しい気持ちになれるようだ。 都会に住む僕は混雑した電車に乗り 通勤する。 ぎゅうぎゅうの車内、 肘が少しばかりぶつかるだけで 苛立ちが増す。 その時は無責任で愚直な 表情をしているに違いない。 小さい子供を微笑ましくみる 余裕など到底なく、 通勤に必死なのだ。 しかし、 気持ちの良い天候が今まで 気にかかっていた、 ささいな出来事を 嘘のように消してくれた。 自分がとても冷静な 人間のように感じる。 週末は少しふるびたソファーの上で 微睡む。 コンビニで買った カフェオレにひと時の 癒しをおぼえる。 つまり、一人で十分に生きている。 昔、祖母は 「人は何かに依存しているのよ」 と口ぐせのように言った。 自分の行動への逃げ 口上のようなその発言が、 どうしても嫌いになれなかった。 もう遠くにいったけれど、 祖母との暮らしを思い出すと心が 喜ぶ。 感情の一部を切り取る記憶とは、 残酷なのかもしれない。 今日も僕は慎ましい感情と 暮らしている。 過去と今、他人と自分、 比べるものではないけれど 十分に幸せだ。 彼女は無表情で 笑っているだけなのかもしれない、 一度も口を開かないのはなぜ。