夏の午後だった けれど、 病室の空気はどこか 冷んやりしていて それが妙に心地よく感じられた 蝉の声も、遠く 窓の外に広がる入道雲は、 時間の流れだけを黙って 告げていた。 彼が来た。 いつも通り、ノックをして。 いつも通り、笑って「こんにちは」 と言った。 でもその日は、 なにかが違っていた。 制服ではなく、 私服だったから――じゃない。 彼の目の奥に、 少しだけ“決意の色”が 見えていた。 「…… 聞いてほしいことがあるんだ」 わたしは、 胸の奥がきゅっとなるのを感じた。 予感がしていた。 夏休みのあいだに、 きっと何かが 変わってしまうことを。 「うん、なに?」 彼は息を小さく整えて、言った。 「僕、 5年一貫制の看護師養成高校に 進学することにした」 ああ、やっぱり。 でもその言葉は、 不思議と痛くなかった。 悲しいけれど、誇らしくもあった。 だってそれは、 彼が“自分の未来”をちゃんと 選んだ証だから。 「……そっか。 ほんとに、看護師、目指すんだね」 「うん。 できるだけ早く、 君のそばに立てるように。 “患者さんのため”って 言えばいいのかもしれないけど…… 僕はやっぱり、 君のためって言いたい」 不意に、視界がにじんだ。 そんなこと、 簡単に言えることじゃないのに。 まっすぐに、迷いなく、 わたしのために“未来”を差し 出すなんて。 「……ねえ、わたし、 泣いていい?」 「うん。 僕も、少し泣きそうだから」 わたしたちは、ただ微笑んで、 そして、 ほんのすこしだけ涙をこぼした。 それは寂しさじゃなかった。 でも、 たしかに胸がいっぱいだった。 「しばらくは、 来れない日も増えると思う」 「うん……」 「でも、勉強がうまくいったら、 またペアテスト持ってくるよ。 今度は、国家試験レベルで。 笑っちゃうくらい難しいやつ」 「それ、楽しみにしてる。 ……ぜったい、待ってる」 それだけ言って、 彼は静かに立ち上がった。 わたしは、心の中で手を伸ばして、 その背中に“がんばって”をそっと 結んだ。 「好きだからそばにいたい、 じゃなくて。 君の未来のために、 僕は“なりたい自分”を選んだ。 一緒にいられない時間が、 君の記憶から僕を 遠ざけるとしても―― 僕は、君に近づく道を、 歩いていく。」 彼の選択は、 「離れるため」の道じゃなくて、 「もう一度会うための準備」 なんですよね
