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Boyz II Men

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ボー イズIIメンは、1988年ペンシルベニア州フィラデルフィアで5人組として結成された。マーク・ネルソンがソロになるため脱退し、ネイザン・モリス、マ イケル・マッケリー、ショーン・ストックマン、ウォンヤ・モリス(ネイザンと親戚関係はなし)の4人組として、グループを継続する。 トレードマークとなった滑らかなハーモニーに加え、4人それぞれが際立ったリード・シンガーである。きちんとしたレトロ・ヌーボーなイメージ、正確な振り 付け、洗練されたステージ・パフォーマンスで、彼らは瞬く間にスターとなった。 1992年から1997年の間、ボーイズIIメンはNo.1ヒットを5曲、R&Bシングル・チャートに12曲TOP 10入り、全世界売り上げ6,000万枚を記録し、グラミー賞を含む幾多の賞を受賞してきた。 1991年、ボーイズIIメンはモータウン・レコードと契約、ベル・ビヴ・デヴォーのマイケル・ビヴンスをエグゼクティブ・プロデュー サーに迎えたデビュー・アルバム『クーリーハイハーモニー』をリリースした。『クーリーハイハーモニー』は、90年代の"ニュー・ジャック・スウィン グ"、もしくはボーイズIIメン自身の言葉を借りると"ヒップ・ホップ・ドゥーワップ"の典型であった。アルバムは、「モータウン・フィリー」「グッバ イ・トゥ・イエスタデイ」「ウー・アー」という、3曲のクロスオーヴァー・ヒットを生み出した。「クーリーハイハーモニー」は最高5位を記録し、ビルボー ドTOP 200になんと133週もランクインし続けた。アルバムはアメリカのみで900万枚以上を売り上げ、ボーイズIIメンは[最優秀R&Bデュオ/グ ループ・ヴォーカル部門]で初のグラミー賞を受賞した。 1992年、大規模なツアーの合間にボーイズIIメンはスタジオに戻り、ベイビーフェイスをプロデューサーに迎え、エディ・マーフィー 主演映画『ブーメラン』挿入歌となる新曲「エンド・オブ・ザ・ロード」をレコーディングする。シングルとしてリリースされたこの曲は、ボーイズIIメンに とって最大のヒットとなった。 ビルボードHOT 100チャートで連続13週1位を獲得、それまでのエルヴィス・プレスリー「冷たくしないで/ハウンド・ドッグ」の記録11週(1956年)を更新した。 ビルボードR&Bシングル・チャートでも4週1位となった。 1992年グラミー賞[最優秀R&Bデュオ/グループ・ヴォーカル部門]を受賞、「エンド・オブ・ザ・ロード」はのちに、アルバム『クーリーハイ ハーモニー』へ追加収録された。 ボーイズIIメンのセカンド・アルバム『II』は1994年にリリースされ、作曲とプロデュースに、ベイビーフェイスとジャム&ルイス のチームを迎えた。アルバムはビルボード・チャート5週連続1位となり、グラミー賞[最優秀R&Bアルバム部門]を受賞、No.1シングル「メイ ク・ラヴ・トゥ・ユー」(R&Bチャートでも長期1位を獲得)と「ベンデッド・ニー」のおかげで1,200万枚以上の売り上げを記録した。この2 枚のシングルもプラチナ・ディスクを記録している。サード・シングル「ウォーター・ランズ・ドライ」もPOPチャート2位まで上がり、ゴールド・ディスク となった。 「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」は、彼ら自身の「エンド・オブ・ザ・ロード」の記録を破り、なんと14週連続で1位を獲得した。ボーイズ IIメンは「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」で4つ目のグラミー賞となる[最優秀R&Bデュオ/グループ・ヴォーカル部門]を受賞。「ベンデッド・ ニー」が「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」に代わってHOT 100の1位に輝き、ボーイズIIメンはエルヴィス・プレスリーとビートルズに続き、2曲が間を置かずに1位を獲得したチャート史上3組目のアーティスト となった。 1995年、彼らはマライア・キャリーのアルバム『デイドリーム』の収録曲、「ワン・スウィート・デイ」で彼女とコラボレーションを果 たす。この曲はまたしてもマルチ・ミリオン・セラーとなり、HOT 100で16週連続1位となり、1996年グラミー賞[最優秀レコード部門]、[最優秀POPヴォーカル・コラボレーション部門]を獲得する。 この頃までには、ボーイズIIメンのサウンドは、60年代のテンプテーションズやミラクルズと肩を並べる影響力を持つようになった。彼 らのPOPミュージックへの影響は、その後のブラックストリート、オール・4・ワン、ジョデシなどの音楽で明らかだが、ボーイズIIメンほどクロスオー ヴァーでの成功を収めたR&Bグループはその後もまだ現れていない。 『リミックス・コレクション』のリリース後、ボーイズIIメンは新作アルバム『エヴォルーション』を1997年にリリースする。 POPチャート1位/R&Bチャート2位となった「シーズンズ・オブ・ロンリネス」を収録したこのアルバムは、アメリカで300万枚以上の売り上 げを達成した。同年、ベイビーフェイス制作映画『ソウル・フード』のサウンドトラック収録曲「ソング・フォー・ママ」が、彼らにとって5曲目の R&Bチャート1 位となった。ドリームワークスのアニメーション映画『プリンス・オブ・エジプト』のサウンドトラックから、ゴールド・ディスクとなったシングル「アイ・ ウィル・ゲット・ゼア」で、ボーイズIIメンは、再びTOP 40入りを果たしている。 モータウンとユニバーサルの合併に伴い、2000年ボーイズIIメンは『ネイザン マイケル ショーン ウォンヤ』をリリースする。ほとんどの収録曲がメンバー4人によって書かれ、プロデュースされた。 TOP10シングルは生まれなかったものの、このアルバムはアメリカでゴールド・ディスクとなり、全世界で100万枚を売り上げた。 2001年から2007年の間、ボーイズIIメンはユニバーサルからベスト・アルバム(『レガシー〜ボーイズIIメン・グレイテスト・ ヒッツ』)をリリースし、アリスタ・レコードと契約した。そこでベイビーフェイスと再び組み、『フル・サークル』(2002年)、ニュー・シングルとビデ オ『ザ・カラー・オブ・ラヴ』をリリースする。 前作『ネイザン マイケル ショーン ウォンヤ』同様、アメリカでは50万枚、全世界で100万枚のセールスを記録した。だがその一方、マイケル・マッケリーは次第に脊髄側弯症が進み、慢性的 な痛みからステージでの活動が限られるようになった。結果的に彼は2003年にボーイズIIメンを去り、演奏活動から引退した。 ボーイズIIメンは自主 制作でカヴァー・アルバム『スローバック Vol.1』をリリース後、2006年にはアルバム『ザ・レメディ』をリリースした。 彼らはウェブサイトBoyz II Men.comを立ち上げ、北米と極東でメジャー・ツアーを敢行した。
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