ミイ、ケイのふたりは1973年にヤマハ主催の「チャレンジ・オン・ステージ」というオーディションに合格、1974年5月にピンク・レディーの前身となるフォークデュオ「クッキー」を結成。
1976年NTV系番組「スター誕生!」決戦大会でスカウトを受けたビクターより、同年8月25日「ペッパー警部」でデビュー。 続く「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」などを立て続けにリリースし、そのいずれもがチャートの1位を獲得。 大胆なコスチュームと過激な振付けで歌うアップテンポな曲は、子供から大人に至るまでの幅広い層から支持を得て、ピンク・レディー旋風は急速に日本全国のお茶の間に浸透していった。彼女たちが披露した振付けは、その後のアイドルユニットには欠かせないアイテムとなる。
ヒットチャート9曲連続1位([S・O・S」~「カメレオン・アーミー」)、10曲連続ミリオンの偉業([ペッパー警部」~「カメレオン・アーミー」)を達成し、各賞を総なめにしたピンク・レディーは、次なる舞台を海外に設定し、ラスベガス公演を皮切りに1979年5月、世界40ヶ所以上で同時発売された「Kiss In The Dark」(ビルボード誌最高37位)やアメリカの3大ネットワークNBCテレビ「Pink Lady Show」などの成果を挙げている。
アメリカ長期滞在から帰国した1980年の9月1日に解散を表明。81年3月31日後楽園球場にて解散。活動期間4年7ヶ月。
解散後~これまでに4回、期間限定の再結成を行う。特に2003~2005年のコンサート・ツアーは大盛況となり、ピンク・レディーの健在ぶりをアピールした。
2010年9月1日、解散宣言からちょうど30年の節目の日に、ビクタースタジオで《解散やめ!》を宣言。ピンク・レディーの永続的な活動再開を発表するとともに、ニューアルバムのレコーディング中であることを明らかにした。
2010年12月1日、オリジナルのマスターテープに新たな息吹を吹き込んだ“ニュー・ボイス、ニュー・アルバム”『INNOVATION(イノベーション)』をリリース。
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