エース・フレーリー。本名ポール・ダニエル・フレーリー。1951年4月27日、アメリカはニューヨーク州ブロンクス地区に生まれる。音楽一家に育ったエースは、いくつかのバンドを渡り歩いたのち、1973年にギタリスト募集の広告を見つけ、オーディションを受ける。メンバー3人が見守る中プレイしたエースは見事合格。その3人とは、ジーン・シモンズ(b,vo)、ポール・スタンレー(g,vo)、ピーター・クリス(ds,vo)であり、エースを含むラインナップで、その後すぐにKISSとしての活動を開始する。メイクを施してライヴを行うことに決めたKISS。エースは、目の縁に銀色で星を描き、異星からの訪問者“スペース・エース”というキャラクターとしてステージに立つことに。エース・フレーリーという名前は、そこから生まれた。
74年、KISSはアルバム「KISS(邦題:地獄からの使者~キッス・ファースト)」でデビューを果たす。エース作曲の“Cold Gin”も収められたが、自分のヴォーカルに自信がなかったエースは、同曲のリード・シンガーの座をジーンに譲る。その後、全米4位を記録した通算6作目のスタジオ・アルバム「LOVE GUN」収録の“Shock Me”で、ついにエースはリード・シンガーとしてデビューを果たす。
75年に3rdアルバム「DRESSED TO KILL(邦題:地獄への接吻)」を発表する頃、バンドの人気は上昇しはじめ、ツアーも成功。初のライヴ・アルバム「ALIVE!」も大ヒットするが、その勢いに反比例するかのように、次第にメンバー間の人間関係に綻びが生じる。それを打破する意味でも各々が78年9月にソロ・アルバムを同時リリース。エースのソロ作「ACE FREHLEY」も全米で100万枚を超えるヒットとなる。
しかし、自動車事故やドラッグ乱用などの問題もあり、エースは83年にKISSを正式に脱退。KISSを離れたエースは、自身のバンドを結成し、87年にソロ名義での2ndアルバム「FREHLEY’S COMET」をリリースし、全米43位に送り込む。翌88年には、2ndソロ・アルバムのタイトルをバンド名義としたFREHLEY’S COMETとして3rdソロ・アルバム「SECOND SIGHTING」を発表。ALICE COOPERやIRON MAIDENのツアーの前座を務めるなどした。続く4thソロ・アルバム「TROUBLE WALKIN’」は、名義をACE FREHLEYに戻して89年にリリースされた。そして、ソロとしては初となる来日公演も実現。
95年に、MTVアンプラグドでのジーン、ポール、エース、ピーターの集結をきっかけに、オリジナル・ラインナップによるKISS再結成の噂が広まる。そして96年、それは現実のものとなった。再結成ツアーは大成功に終わり、98年発表の復活第一弾アルバム「PSYCHO CIRCUS」は、KISS史上最高のチャートである全米3位を記録する。エースは、その後2001年まで続くフェアウェル・ツアーと翌02年のソルトレイクシティ五輪の閉会式でのパフォーマンスを最後にKISSから再び脱退。ソロ活動に専念する。
09年、20年振りとなる5thソロ・アルバム「ANOMALY」をリリース。それを引っ提げて『LOUD PARK 09』への出演が予定されていたが、直前になりキャンセル。
そして2014年。KISSが『Rock And Roll Hall Of Fame(ロックの殿堂)』入りを果たし、4月10日にニューヨークで開催された受賞式典に、ジーン、ポール、エース、ピーターのオリジナルの4人で壇上にあがり、喝采を浴びた。そして6月には、アメリカのeOne Musicと新たに契約を結んでの、5年振りとなる6thソロ・アルバム「SPACE INVADER」をリリース。全米初登場9位のヒットを記録。
2016年、KISSのポール・スタンレー(g,vo)や、GUNS N’ ROSESのスラッシュ(g)などがゲスト参加した、自身のキャリア初となるカヴァー・アルバム「ORIGINS VOL.1」を4月にリリース。
2017年、09年発表の「ANOMALY」をデラックス・エディションとしてリイシュー。さらに、並行して制作していた新しいオリジナル・アルバム「SPACEMAN」を、自身のソロ活動40周年の2018年にリリースする。
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