キング・オブ・ポップ=マイケル・ジャクソン。世界史を語り継ぐ上で、ポップ・ミュージックの象徴としてマイケル・ジャクソンは未来永劫輝き続ける。マイケルの持つ世界各国でのナンバーワン・ヒットは25曲以上あり、ジャクソン・ファイヴ時代やモータウンのソロ時代を含めると30曲にも及ぶナンバーワン楽曲を輩出している。
もちろん、シンガーとしてだけでなく、パフォーマーとして、コンポーザーとして、ダンサーとして、音楽プロデューサーとして、ビジュアルプロデューサーとして、あらゆる分野でPOPミュージックの最高到達点を示し、後年のアーティスト、クリエーターたちに計り知れない影響を与え続けている。
その華やかなキャリアを通じて、マイケル・ジャクソンはシーンに新しいインパクトを与え続けた。それどころか、ありとあらゆる「既存」の壁をぶち壊しながら、音楽の「見た目」までも全く新しく作り変えてしまった。「プロモーションのためのミュージック・ビデオ」という従来の概念を取り除き、彼が創り出したシネマティックなショート・フィルムの数々は、世界中の人々を熱狂させ、楽曲に生き生きとした命を与えた。こうしてマイケルによって創り出された楽曲・映像群は、ひとりの人間の「VISION」によって想像された「ポップ・ミュージック史に残るマスターピース」であると同時に、世界中の老若男女にもっとも愛される「世界共通言語」と呼んでも過言ではないかもしれない。
79年に発表したEPICからのソロ第1作『オフ・ザ・ウォール』は、ソロ・アーティストとしては初めて、一枚のアルバムから4曲ものトップ10ヒットを生み出した。「今夜はドント・ストップ」「ロック・ウィズ・ユー」等で、マイケル・ジャクソンの長いチャート占拠の始まりを告げた作品でもある。『オフ・ザ・ウォール』は音楽性の評価も今なお高いが、セールスも全世界で約2000万枚と大成功を収めた。そして他の80年代アーティストと違い、マイケル・ジャクソンはその後30年以上たった今でも音楽界の頂点に燦然と輝いている。
その輝きはその後増す一方である。08年には25周年記念盤も発売となった『スリラー』の売上は、全世界で1億枚以上を売り上げ、史上最も売れたアルバムとしてギネスブック認定作品となっている。また、グラミー史上最多8部門受賞作でもある。アルバム収録曲9曲中7曲がシングルカットされ、その全てが全米TOP10入りを果たし、アルバムはビルボード・アルバムチャートで37週ものNo.1を記録した。「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」「スリラー」等々、『スリラー』からのシングルは至上のスリルが横溢している。これらはもうただの「曲」ではなく、さまざまな思い、感情、気持ちを喚起する、あらゆる意味においての傑作であり、衝撃的な「事件」「出来事」と表現してもなお筆舌に尽くしがたい作品である。また現代を生きるアーティストすべてにとって、この巨大な楽曲群からの強力すぎる影響は否定できるはずもないだろう。
その後も、マイケル・ジャクソンのペースは全く落ちることがなかった。1987年、『BAD』を発表。1stシングル「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」以降、「マン・イン・ザ・ミラー」を含む空前絶後の同一アルバム収録シングル5曲連続全米ナンバーワンという新記録を樹立し、全世界で3000万枚以上のセールスを記録。王座への帰還と共に、<キング・オブ・ポップ>の座を未来永劫不動のものとした。
それでもマイケルの挑戦は続く。『オフ・ザ・ウォール』以降、クインシー・ジョーンズとの史上最強コンビで世界征服しているにも関わらず。未来へ向けて、孤高かつ未踏の領域へと旅立ったのが1991年発表の『デンジャラス』である。新たにテディ・ライリーとタッグを組み、「ブラック・オア・ホワイト」「ヒール・ザ・ワールド」などのヒット曲を連発し、全世界で『BAD』を超える3200万枚以上のセールスを記録。<キング・オブ・ポップ>という称号を自ら再び証明して見せた。
1995年には、ベスト・アルバムとニュー・アルバムの2枚組となる『ヒストリー』を発表。「ユー・アー・ノット・アローン」が長いビルボード・チャートの歴史上初となるポップ・チャート初登場1位を記録、イギリスでは「アース・ソング」が6週連続のナンバーワンに輝くなど、またしても自らの記録と"ヒストリー"を塗り替える。イギリスでは、1997年発表の「ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア」でも1位を獲得している。その後2001年、実に10年ぶりのオリジナル・アルバムとして発表された『インヴィンシブル』では、21世紀においても依然マイケルの紡ぎ出すサウンド・クオリティの素晴らしさを世間に印象づけることに成功している。
『スリラー』の衝撃から25年を経た2008年には、マイケルをリスペクトしてやまない、マイケル・チルドレンにして世界的なスーパースター、ウィル・アイ・アム、エイコン、カニエ・ウェスト、ファーギーらが参加した、『スリラー25周年記念盤』が発表された。同作は再び全世界で大ヒットを記録し、自らが打ち立てた人類史上最大セールスの記録を、自らの手でより大きな物にしたとともに、次世代のファンの心を大きくつかむことにも成功した。
そして、2009年3月、ロンドンのO2アリーナにて、『HIStoryツアー』以来実に12年ぶり、50回もの公演が発表された。世界中がマイケル・ジャクソンの王座への帰還を確信し、大きな期待とともにこの「THIS IS IT」公演の開幕を待ちわびていた6月末、全世界に衝撃の訃報が走る。6月25日、現地時間午後2時26分。マイケル・ジャクソンは、ロサンゼルスUCLA付属病院にて、その50年の生涯を終えた・・・。それは彼自身が記者会見で「最後」と宣言したロンドンでの50回に及ぶ公演「THIS IS IT」を目前に控え、リハーサルが最終段階を迎える中での、突然の死であった。訃報はネットやメディアを通じて、世界中を瞬時に駆け巡る。その日から、彼の歌や映像が途切れることなくあふれるようになると、彼を長い間愛し、応援してきたこれまでの熱心なファンのみならず、この「死」をきっかけにマイケルの音楽や映像、パーソナリティに触れた新しいファンによる「発見(再認識)と、熱狂」の大きな波が巻き起こった。
特に彼の死後、リハーサルで収録していた映像を編集したドキュメンタリー映画 『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』 が2009年10月末に公開されると、「マイケル・フィーヴァー」はさらに加速。マイケルの音楽的な偉業と、パフォーマーとしてのかけがえの無い存在感への評価、彼が生涯放ち続けたメッセージへの理解、そして何よりその人間的な魅力への共感は、国籍・人種・性別も超えたあらゆる世代に及んでいる。
そして2010年。マイケルからまた新たな、そして未来への音楽のギフトが届けられた。11月24日には、彼がそのキャリアの中で制作した42本ものショート・フィルムを収めた『マイケル・ジャクソン VISION』がリリース。未発表となっていた「ワン・モア・チャンス」のショート・フィルムなどが収められた本作は全世界で熱狂的に迎えられ、世界各国で初登場No.1を記録。更に、マイケルが残してくれた手書きのメモや、これから一緒に仕事をしようという仲間たちと語り合っていたさまざまなクリエイティブなアイディアの記憶を道しるべとして命を吹き込まれ、このたび未発表「新曲」として完成した全10曲を収録したマイケル・ジャクソンのニュー・アルバム、『MICHAEL』が遂に登場する。まさに「マイケルは何度でも、世界を驚かせる」!!
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