1940年
7月7日 リチャード・スターキー(リンゴ・スター)誕生。
10月9日 ジョン・ウィンストン・レノン誕生。
1942 年
6月18日 ジェームズ・ポール・マッカートニー誕生。
1943 年
2月24日 ジョージ・ハリスン誕生。(出生届は 25日)
1957 年
3月 ジョン、初のグループ、クオリーメンを結成。
7月6日 ジョン、セント・ピーターズ教会でのクオリーメンの演奏を観にきたポールと出会う。ポールはのちにグループに加入。
1958 年
2月6日 ジョージ・ハリスン、ポールの紹介でグループに加入。
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1960 年
1月 スチュアート・サトクリフ、バンドに加入。その後、バンド名をシルヴァー・ビートルズに改名。
8月17日~11月30日 ピート・ベストをドラマーに迎え、バンド名をビートルズと改め、初のハンブルク巡業。別のバンドにいたリンゴ・スターと親交を深める。
1961年
2月9日 ビートルズとしてキャヴァーン・クラブに初出演。
4月1日~7月1日 2 度目のハンブルク巡業。途中でスチュアートがグループを脱退し、以後、ポールが正式にベース担当となる。
6月22日~23日 トニー・シェリダンのバック・バンドとして初の公式録音。
1962年
1月1日 デッカ・レコードのオーデションを受け不合格。
1月24日 ブライアン・エプスタイン、正式にビートルズのマネージャーに就任。
4月10日 スチュアート・サトクリフ死去。享年 21 歳。
6月6日 アビイ・ロード・スタジオで初のレコーディング・セッション。プロデューサー、ジョージ・マーティンと初顔合わせ。パーロフォン・レーベルとレコーディング契約を結ぶ(契約書は 6月4日付)。
8月15日 この日のステージを最後にピート・ベストが解雇。
8月18日 リンゴ・スター、正式なビートルズのメンバーとして初めてのステージに立つ。
8月23日 ジョンがシンシア・パウエルと結婚。
10月5日 「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコード・デビュー( B 面「 P.S. ・アイ・ラヴ・ユー」)。
1963 年
1月11日 セカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」発売( B 面「アスク・ミー・ホワイ」)。
2月2日~3月3日 初のイギリス国内ツアー。
11日 デビュー・アルバムを 1日でレコーディング。
22日 「プリーズ・プリーズ・ミー」が初のナンバーワン・シングルに。
3月22日 デビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』発売。
4月11日 シングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」発売( B 面「サンキュー・ガール」)。
8月3日 2 年半にわたり 300 回近く出演したキャヴァーン・クラブで最後の出演。
23日 シングル「シー・ラヴズ・ユー」発売( B 面「アイル・ゲット・ユー」)。予約だけでミリオン・セラーに。
10月13日 テレビ番組『バル・パーネルズ・サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム』出演。ファンの熱狂ぶりをマスコミが「ビートルマニア」という見出しで紹介。
24日~ 29日 初の本格的海外ツアー、スウェーデン公演。
11月4日 王室主催の「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」に出演。
22日 セカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』発売。
29日 シングル「抱きしめたい」発売( B 面「こいつ」)。予約だけでミリオン・セラーを獲得。
1964 年
2月1日 フランス公演中「抱きしめたい」がアメリカのビルボード誌で 1 位に。
7日 アメリカ上陸。
9日 『エド・サリヴァン・ショー』に出演。 72 %という史上最高の視聴率を記録。
11日 ワシントン・コロシアムで初のアメリカ公演。
3月2日 初の主演映画『ハード・デイズ・ナイト』の撮影開始。
20日 シングル「キャント・バイ・ミー・ラヴ」発売( B 面「ユー・キャント・ドゥ・ザット」)。
4月4日 アメリカのビルボード誌のチャートでトップ 5 を独占。
11日 ビルボード誌のトップ 10 に 5 曲、トップ 100 に 14 曲を送り込む。アルバム・チャートでも 1 位と 2 位を独占。
6月4日~30日 初の本格的ワールド・ツアー(デンマーク、オランダ、香港、オーストラリア、ニュージーランド)。リンゴが扁桃腺で倒れ、アデレイド公演まで代役。
7月6日 映画『ハード・デイズ・ナイト』、ロンドン・パビリオンでプレミア上映。
10日 『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』、アルバム、シングルともに発売(シングル B 面「今日の誓い」)。
8月19日~9月20日 カナダを含む初の大規模なアメリカ・ツアー。
10月9日~11月10日 イギリス・ツアーで凱旋。
11月27日 シングル「アイ・フィール・ファイン」発売( B 面「シーズ・ア・ウーマン」)。
12月4日 アルバム『ビートルズ・フォー・セール』発売。
1965 年
2月11日 リンゴ、モーリーン・コックスと結婚。
23日 2 作目の映画『ヘルプ!』撮影開始。
4月9日 シングル「涙の乗車券」発売( B 面「イエス・イット・イズ」)。
7月23日 シングル「ヘルプ」発売( B 面「アイム・ダウン」)。
29日 映画『ヘルプ!』、ロンドン・パビリオンでプレミア上映。
8月6日 アルバム『ヘルプ! 4 人はアイドル』発売。
15日~ 31日 3 回目のアメリカ・ツアー開始。初日のシェア・スタジアム公演は屋外コンサートの観客動員記録を樹立。
10月26日 バッキンガム宮殿で MBE 勲章授与式に出席。
12月3日 初の両 A 面シングル「デイ・トリッパー/恋を抱きしめよう」とアルバム『ラバー・ソウル』発売。
3日~ 12日 リバプール公演を含む、最後のイギリス・ツアー。
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1966 年
1月21日 ジョージ、パティ・ボイドと結婚。
5月1日 ポール・ウィナーズ・コンサート出演。イギリスで最後のライヴ。
6月10日 シングル「ペーパーバック・ライター」発売( B 面「レイン」)。
24日~ 7月4日 最後のワールド・ツアー(ドイツ、日本、フィリピン)。
29日 午前 3 時 40 分、羽田空港に到着。 7月2日まで 5 回の日本公演。
7月5日 大統領夫人の招待を断ったとされフィリピンで暴動。やっとの思いで空港から離陸。
29日 ジョンの「ビートルズはキリストより有名」発言を含むインタヴューがアメリカの雑誌に転載。それがもとでビートルズの曲の放送禁止やレコードの焼き打ち運動がアメリカの一部で起こる。
8月5日 アルバム『リボルバー』と両 A 面シングル「イエロー・サブマリン/エリナー・リグビー」発売。
12日 ツアー活動の最後となるアメリカ・ツアー開始。公演に先立ち「キリスト発言」に対してジョンは謝罪の意を表明。
29日 ラスト・コンサートがサンフランシスコのキャンドルスティック・パークで行なわれる。
11月9日 ジョン、インディカ・ギャラリーで開催されたヨーコの個展のオープニング前日に会場を訪れ、オノ・ヨーコと出会う。
24日 ツアー以来の顔合わせ。長期にわたるレコーディングを開始。
1967 年
2月17日 両 A 面シングル「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レイン」発売。
4月21日 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のレコーディング完了。 5 か月におよぶ長期レコーディングは初。
6月1日 アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』発売。
25日 世界 25 か国での衛星同時生中継番組『アワ・ワールド』に出演。「愛こそはすべて」を歌う。
7月7日 シングル「愛こそはすべて」発売( B 面「ベイビー・ユー・アー・ア・リッチマン」)。
8月25日 マハリシ・マヘシ・ヨギの超越瞑想セミナーに出席するため、ウェールズのバンゴアへ。
27日 マネージャー、ブライアン・エプスタイン死去。 4 人は急ぎロンドンへ戻る。
9月1日 エプスタイン亡きあと、ポールの家で映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の企画を練る。
11日 映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の撮影開始。
11月24日 シングル「ハロー・グッドバイ」発売( B 面「アイ・アム・ザ・ウォルラス」)。
27日 アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』アメリカで発売。イギリスでは 6 曲入りの EP として 12月8日に発売。
12月26日 BBC でテレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』がモノクロで放映。
1968 年
2月15日 マハリシのもとで超越瞑想を長期的に行なうため、ジョン夫妻、ジョージ夫妻、インドのリシケシュへ旅立つ。
19日 ポールとジェーン・アッシャー、リンゴ夫妻もリシケシュへ。
3月15日 シングル「レディ・マドンナ」発売( B 面「ジ・インナー・ライト」)。
4月12日 ジョンがマハリシに幻滅し、ジョージらも予定よりも 1 か月早くインドを離れる。
5月11日 アップル設立の記者会見を開くため、ジョンとポール、ニューヨークへ。
30日~10月14日 アルバム『ザ・ビートルズ』のレコーディング。一時、リンゴが脱退。
7月17日 ロンドン・パビリオンでアニメ映画『イエロー・サブマリン』のプレミア公開。
8月30日 シングル「ヘイ・ジュード」発売( B 面「レボリューション」)。
11月1日 アップル・レーベルからの初のアルバムでジョージ初のソロ・プロジェクト『不思議の壁』発売。 22日 アルバム『ザ・ビートルズ』発売。
29日 ジョンとヨーコ初の共同アルバム『「未完成」作品第 1 番~トゥー・ヴァージンズ』発売。ふたりの全裸ジャケットが問題となりすぐに発売禁止に。
1969 年
1月2日 トゥイッケナム・フィルム・スタジオで「ゲット・バック・セッション」開始。一部はのちに映画『レット・イット・ビー』として公開される。
10日 ジョージがビートルズを一時脱退する。
17日 アルバム『イエロー・サブマリン』発売。
30日 アップル・ビルの屋上で、グループとして観衆の前で最後の演奏を行なう。
3月12日 ポール、リンダ・イーストマンと結婚
20日 ジョン、オノ・ヨーコと結婚
4月11日 シングル「ゲット・バック」発売( B 面「ドント・レット・ミー・ダウン」)。
5月8日 ポールを除く 3 人、アラン・クラインとビジネス・マネージャー契約を結ぶ。
9日 ジョンとヨーコ、 2 枚目の共作アルバム『「未完成」作品第 2 番~ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』、ジョージのソロ第 2 弾『電子音楽の世界』がアップル傘下のザップル・レーベルから発売。
30日 シングル「ジョンとヨーコのバラード」発売( B 面「オールド・ブラウン・シュー」)。
6月4日 ジョンとヨーコのグループ、プラスティック・オノ・バンドのデビュー・シングル「平和を我等に」イギリスで発売( B 面「リメンバー・ラヴ」)。
8月20日 断続的に続いていた『アビイ・ロード』レコーディング終了。この日が 4 人そろってスタジオ入りした最後。
22日 ジョンの自宅で最後のビートルズ・フォト・セッション。
9月13日 ジョン、トロントでの「ロックンロール・リバイバル・ショー」に出演。トロントへ向かう機内で、この日のバンドのメンバーにビートルズ脱退を告げる。
20日 ジョン、ビートルズ脱退をポール、ジョージ、リンゴに告げる。
26日 アルバム『アビイ・ロード』発売。
10月24日 ジョン、シングル「コールド・ターキー」発売( B 面「京子ちゃん心配しないで」)。
31日 両 A 面シングル「サムシング/カム・トゥゲザー」発売。
11月7日 ジョンとヨーコの結婚記念アルバム『ウェディング・アルバム』発売。ポール、『ライフ』誌の表紙に登場し、噂が大きくなった「ポール死亡説」を否定。
12月12日 ジョンのアルバム『平和の祈りをこめて~ライヴ・ピース・イン・トロント 1969 ~』発売。
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1970年
2月6日 ジョン、シングル「インスタント・カーマ」発売( B 面「フー・ハズ・シーン・ザ・ウインド」)。
3月6日 ビートルズ最後のオリジナル・シングル「レット・イット・ビー」発売( B 面「ユー・ノウ・マイ・ネーム」)。
27日 リンゴ、初のソロ・アルバム『センチメンタル・ジャーニー』発売。
4月10日 ポール、音楽的な意見の相違などを理由にビートルズ脱退を表明。
17日 ポール、初のソロ・アルバム『マッカートニー』発売。
5月8日 ビートルズ最後のオリジナル・アルバム『レット・イット・ビー』発売。
13日 映画『レット・イット・ビー』、ニューヨークでプレミア上映。ビートルズのメンバーは誰も出席せず。
9月25日 リンゴ、アルバム『カントリー・アルバム』発売。
10月5日 リンゴ、初のソロ・シングル「ボークー・オブ・ブルース」アメリカで発売( B 面「クーチー・クーチー」)。
11月23日 ジョージ、初のソロ・シングル「マイ・スウィート・ロード」アメリカで発売( B 面「イズント・イット・ア・ピティ」)。
30日 ジョージ、 3枚組アルバム『オール・シングス・マスト・パス』発売。
12月11日 ジョン、初のソロ・アルバム『ジョンの魂』発売。
28日 ジョン、シングル「マザー」アメリカで発売( B 面は「ホワイ」)。
31日 ポール、ビートルズのパートナーシップの解消を要求する訴訟をロンドン高等裁判所に起こし、ジョン、ジョージ、リンゴの3人を告訴。翌年 4月26日、 3 人は要求を受け入れ上告はしないことを発表。
*リリース日はイギリスを採用(アメリカのみの発売のときはアメリカを採用した)。
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