川村かおりとして1988年11月、17歳で辻仁成プロデュースによりシングル「ZOO」また同名のアルバムにてデビュー。シングル11枚、アルバム5枚、ビデオを3本出し、93年より活動休止しNY等で過ごす。
95年6月シングル「Big Beat」にて音楽活動を再開。日本人とロシア人のハーフであるという生い立ちから生まれる独特の世界観の詩、その詩の内容にラブソングはなく、心の痛みや、政治的な歌、疑問などを問いかけ、多くのファンの共感を得る。オールナイトニッポンのパーソナリティーを1989年4月~1991年6月の期間レギュラーに持ち、1991年4月には当時の首相、海部元首相にゴルバチョフとの晩餐会などにも招待される。
1998年に開始した「SORROW」というソロプロジェクト名にてクラブ向きの音楽制作を開始する傍ら、当時としては珍しい女性DJとして活躍し、坂田かよと共に「696」というクラブイベントをスタートさせROCKイベントとして絶大な人気を集め、2000年にはメンバーに中村達也(LOSALIOS ex.THE BLANKEY JET CITY)を加えイベントを全国展開。全国ツアーにはTHE BLANKEY JET CITY解散直後の浅井健一率いるSHERBETS、LOSALIOS、SORROW、MAD3、
チバユウスケ(TheBirthday、ex.T.M.G.E)、MOTOAKI(ex.SOBUT)等の豪華アーティストが名を連ね、全国ツアーを敢行し当時の会場の動員記録を更新するなど、今では伝説となったイベントを成功させる。このツアーで「SORROW」はソロプロジェクトから4人編成のバンドスタイルへと移行し、ROCKBANDとしての地位を確立した。2007年2月に惜しまれつつも「SORROW」は活動休止を発表、現在は「川村カオリ」名義でソロ活動を再開。
「696」の全国ツアーにて自らカメラを持ち、ツアーの様子を赤裸々に収録したドキュメンタリー映画「696 TRAVELING HIGH」は短館上映だったのにも関わらずロングランとなった。
その他にも「Honey Hall」「UNDER GROUND」「ST Vicious Day」「Give a rat To The Cat」等のイベントをオーガナイズする中、数少ない女性ROCK DJとしてFUJI ROCK FESTIVAL、RISING SUN ROCK FESTIVAL、LONDON NITE、TABOO等多くのイベントに出演し全国を廻っている。
又、音楽以外にも、女優、モデルとして活躍し、映画、ドラマ、CM、パリコレ等に出演、自伝の出版等作家としても活動している。プロディースブランド「Royal Pussy」も全国展開させる。
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