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Marilyn Manson

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異形のミュージシャン、マリリン・マンソン率いる異界からやってきたシアトリカル・ヘヴィ・ロック・バンド。結成時のメンバーは他にツイッギー・ラミレズ(b)、マドンナ・ウェイン・ゲイシー(key)、デイジー・バーコヴィッツ(g)、ジンジャー・フィッシュ(ds) (後にバーコヴィッツに代わりジム・ザムが加入するも、本作レコーディング中に脱退、現在の(g)はジョン・ロウリー)。 ’89年から’90年にかけて、南フロリダのフォート・ラウダーデイル在住のマンソンとバーコヴィッツを中心に、マリリン・マンソン&ザ・スプーキー・キッズとしてスタート。マリリン・マンソンの名は、マリリン・モンローと希代の殺人者、チャールズ・マンソンからとられた。結成当初から総合的に演出されたステージ、自主制作のチラシ、カセットなどのアートワークを通じて、その強烈な世界観をアピール、一部で話題になっていた。 ’92年、バンド名をマリリン・マンソンへと変更。この頃には幾つかのバンド・コンテストで優勝するなど大きな注目を集めつつあった。 ’94年、それまでもオープニング・アクトを務めるなどして交流のあったナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーの設立したレーベル「nothing」に、第1弾契約アーティストとして迎えられ、デビュー・アルバム「ポートレイト・オブ・アン・アメリカン・ファミリー」をトレントのプロデュースにてリリース。NINのツアーに同行するなどして徐々に知名度を上げ、続くセカンド・アルバム「スメルズ・ライク・チルドレン」からのシングル「スウィート・ドリームス」のスマッシュ・ヒットで、その名を一躍世界的なものとした。 ’96年末、アルバム「アンチクライスト・スーパースター」をリリース。全米初登場第3位に輝いたこの傑作アルバムにより、マリリンの存在感は一層の凄みを増し、翌’97年3月には待望の初来日。何とクラブ・クラスのハコでパフォーマンスを決行、オーディエンスの喝采を浴び、その人気を不動のものとする。その後もマリリンはアルバム「アンチ~」からの名曲「ザ・ビューティフル・ピープル」の各種リミックスのリリース、サントラ「SPAWN」でのスニーカー・ピンプスとの共演、オズ・フェスト、レディングなど各種フェスへの参加、全米各地での宗教団体によるマリリン排斥運動をも逆手に取ったエグいライヴ・ビデオのリリースと精力的に活動。 ’98年9月、4thアルバム「メカニカル・アニマルズ」リリース。全米アルバム・チャート1位を記録。 ’99年1月には2度目の来日公演を敢行。その後全米を”ビューティフル・モンスターズ・ツアー”と題してホールとともにツアーを開始するも約2週間で”決裂”、ホールが降板。8月には富士急ハイランドで2日間にわたり行われたロック・フェスティヴァル「ビューティフル・モンスターズ・ツアー」で両日トリを務める。’99年12月にはこれまでのビデオ・クリップと最新ツアー映像を満載したビデオ作品『ゴッド・イズ・イン・ザ TV』をリリースした。 そして2000年11月に待望のニュー・アルバム「ホーリー・ウッド~イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・ヴァリー・オブ・デス」をリリース。 2001年1月に4度目の来日公演。そしてその夏には再度サマーソニックでヘッドライナーとして来日。その後音楽の方向性の違いからツイギー・ラミレス(b)が脱退。 2002年9月には新しいアルバムと同タイトルの自身の絵画等、展覧会をハリウッドにて開催。カルト・ホラー映画のリメイク版の音楽監督を担当。2002年11月MTV Europe Awards 受賞後、エミネムのショウで「The Way I am 」をパフォーマンス。  そして2003年5月約3年ぶりのニューアルバム「ザ・ゴールデン・エイジ・オブ・グロテスクを完成させる。アルバムストーリーとして1940年代のドイツ戦国時代をアイデアとした彼の思想は見事に当たり米ビルボード初登場1位というタイトルを見事復活させ、そのカリスマ性をここぞとばかりに爆発させた。 年末には久々の日本全国ツアーを敢行。どこの会場も満員になるというマンソン人気ここにありという証明を果たす。 誰もが見向きもしないと思われたインディ映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」にも出演し彼の運も手伝ってか映画はロングラン、ビッグヒットとなる。 そして長年引き連れていたギタリスト、ジョン5が脱退。理由は定かではないが友好的な別れだともっぱらの噂である。最新のPV「パーソナル・ジーザス」にも彼の姿はもう無い。 2004年夏、かねてから噂になっていた初のベスト盤を遂にリリースすることになる。アートワークカヴァーは彼自ら書き上げた自画像を前面に押し出しこれぞマンソンというベスト盤を完成させた。尚、日本盤のみ3枚組デラックス・エディションをリリース。(同時に通常盤もリリース)日本のみ許された3枚組CD-2はマンソン自らが選曲したシングルのBサイド8曲。 2005年初頭には日本で行われているソニック・マニアのメイン・アクトとして2万人以上の観客の前でパフォーマンスを行う。 その姿は圧倒的なものでマンソンここに健在という彼の認知度を再度グレード・アップさせるフェスになった。 その後、ボンテージ・クイーンのディータとの結婚も束の間、破局を迎えたマンソンは何も手が付かないというコメントを残しマンソン史上異作の”イート・ミー、ドリンク・ミー”を2007年に発表。物議を醸し出したこのアルバムはファンの賛否を称えるものとなった。 アメリカは勿論、ヨーロッパでもカリスマ的な存在なマンソンはアルバム・リリース後、各地でフェスにも参加しツアーも敢行。 合間を縫って曲を書き始め新たなバンドメンバーを収集し始めた・・・・ そして2009年、旧友であるトゥイギー・ラミレスを再びマンソンに迎え入れ新たなスタートきることとなる。 初期型マンソンに戻ったという人もファンの中にいるだろう。。しかしそれ以上にマンソン体内から出てくるエネルギーはこのアルバムを支え全世界に毒を撒き散らすだろう。日本公演は秋に予定されている、、そこまでアルバムを聞いて我慢できるかがファンの課題になる・・・
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