『“Lovin' you...” 君は最期に僕にそう言った。その瞬間、君はその言葉とともに《永遠》に生きていくことになったんだね』
「愛してる」が麻央さんの最後の言葉だったと伺って、最初に浮かんだのは、Minnie Ripertonの『Lovin' You』でした。
Minnieも1979年、31歳のときに2人の子供を残して、乳がんで亡くなっています。
生前は、乳がんをカミングアウトして、1980年代に生まれた【ピンクリボン運動】の礎になるようなことも、精力的に行っていたそうです。
当時と違って医療が進歩し、必ずしも「がん=死」という時代ではなくなってきましたが、それでも悲しみの涙を流さずにはいられない出来事もないわけではありません……。
私の友人も、麻央さんの亡くなったちょうど1年前の2016年6月に乳がんで亡くなりました。幼い子供がいたことと、その時その時を大切に生きる姿勢が共通していたことで、麻央さんを彼女に重ねていた分……だからこそ【奇跡】をずっと願っていました。
その一方で、苦しみや痛みに耐えていたであろうつつも、優しさと思いやり溢れる言葉で素直にまっすぐに自分の状況や心情を綴った麻央さんのブログ、いろいろな意見がおありだったろうと思いますが、私自身はたくさん励まされてきました。
……それだけに、本当に、本当に悔しいです。
また、そんな人柄だった麻央さんの「愛してる」という言葉はきっと、夫の海老蔵さんだけでなく、麻央さん似のかわいくてしっかりしたお子さんたち、姉の麻耶さんやご家族、近親者、自分を支えて応援してくれた全ての方々に向けた愛情と感謝の気持ちの表れだったのではないか……そう思えてなりません。
美しい旋律とキラキラした愛に満ち溢れた歌詞に、誰もが心を動かされずにはいられない『Lovin' You』は、これまで多くのアーティストにも愛されてカバーされてきました。
プレイリストを作るにあたって、オリジナルのMinnie Ripertonはもちろん、私の思う日本最高のディーヴァであるMISIA、夫とともに結婚当時よく聴いていた今井美樹、その他なるべく多くのジャンルのアーティストからピックアップしてきました。
《実を言うと、最初にプレイリストを作ったときから、とってもとってもずぅーっとずぅーっと入れたかった念願の、平井堅の『Lovin' You』、先日の配信開始により、このたびやぁーっとこのプレイリストに組み込むことが出来ました。配信と同時に今すぐにでも入れたくて仕方がなかったにもかかわらず、気持ちを抑えてこの日まで待ったのは、上記の友人Mの命日に思いのたけを込めて作りたかったから……でした。ー2019.6.某日:追記》
そしてプレイリストの最後は、乳がんが25年経って再発転移したことを公表した、Olivia Newton-Johnのカバーにしました。
彼女の乳がんに対して強く逞しく向き合う姿勢は、ときに折れそうな私の心に勇気を与えてくれます。
とはいえ、このプレイリストを公開すべきかどうか……この文章とともに非公開のまま心に閉まっておくべきか……非常に迷い、葛藤しました。
公開することは、まるで人の死に便乗しているかのように思えて……。
にもかかわらず、公開することにしたのは、まだまだ乳がんについて他人事のように無関心な方々も少なくなく、正しい知識や理解が普及しているとはいえない現状において、それを変えていくには、ささやかでも、麻央さんたちのように『アクションを起こすこと』だと考えたからでした。
ただ、音楽ストリーミングで、場違いなズレたことを行っても、お門違いで単なる空々しい自己満足で終わってしまうかもしれないでしょうけれども……。
それでも……今の私に出来ることは、大好きな音楽を通じて、乳がんへの思いを伝えることで共感と関心を持ってもらうこと ー それがたった一人だったとしても、それだけでじゅうぶん幸いです。
未だがんは100%予防できるものでもなければ、原因も完全には解明されていませんが、いつか乳がんや他のがんに涙する人がいなくなる日が来ることを、心から願ってやみません……。
ー Dedicated to《M》of four (Mao Kobayashi, my dearest friends M.T & M.O, Minnie Riperton), all the other breast cancer《survivors》& my best loves... by one breast cancer survivor.
追記:上記の《survivors》について……
『“Lovin' you...”, when you said to your husband in your last moments, it made《ETERNAL LOVE》. So you live forever and forever.』
Minnieや麻央さん、亡くなった友人2人のMはもはやsurvivorではないとはいえ、生前は立派なbreast cancer survivorsでした。
ご遺族のお気持ちを思うと繊細で難しい事柄ですし、死生観、言葉の受けとめ方や感覚というのは人それぞれなので異論反論もあるでしょうし、私の独善かもしれませんが……
そんな誇りある彼女たちももちろん、彼女たち同様に《乳がんの今日(こんにち)》へとたくさんのものを残して受け継いできてくれた、過去からの全ての尊き乳がん患者&体験者も、私にとっては《命の恩人》のような感謝すべき、今でも永遠に生きている《survivors》です。
どうか、あえて彼女たちも含めて《survivors》と呼ぶことを許してください……。
さらに追記:
2017年3月にも、さらに同い年の私の友人が乳がんで亡くなりました。奇しくも、そのことを知らされた日にちは、そのちょうど1年前に最後に彼女に会った日にちであり、同時に2016年6月に亡くなった友人Mが亡くなったのを知らされた日にちでもありました。
また、2017年に亡くなった彼女の名前もMでした。
そのために、一部改変しております。
【「私、東京オリンピックまで生きられないかな……」
東京オリンピック開催が決まったとき、(2017年3月に亡くなった) Mちゃまが寂しそうにふっと漏らした言葉……。
あの頃はまだまだ元気で、「そんなことないから一緒に観に行こう」って約束してーー本当にずぅーっとMちゃまと行くのを楽しみにしてたんだよ……】
※自分の人生のテーマである乳がんへの思いの強さの分、非常に長い文章になってしまいました。もし最後までお読みくださった方がいらっしゃったなら、心より感謝いたします。
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