プロレスラーの入場曲には、ハードロックが良く似合う!
配信停止が出た為、リニューアルVer.で。
①《踏み潰し野郎》モンゴリアン・ストンパー ……(国際プロレス)
https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/mongolian-stomper/
カナダのカルガリーを主戦場にしていた《モンゴリアン・ストンパー》こと アーチ・ゴルディ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC
得意技は ストンピング。ただ 相手を踏む…ってやつ
日本プロレス、国際プロレス、全日本プロレス と3団体に来日。
セントルイス修行時代のアントニオ猪木のタッグ・パートナーとしても知られています。
顔はめっちゃ怖いんだけど、実は気が弱い…らしい。
全日本プロレス「第10回チャンピオン・カーニバル」来日時、
ブルーザー・ブロディ、ビル・ロビンソン、《ミリオンダラー・マン》テッド・デビアス、《仕切り屋》バック・ロブレイ などに挟まれ
小さくなっていたそうな😅
しかし、ジャイアント馬場とは1回もシングルマッチでは負けていず、
ジャイアント馬場の評価は高いと思われます。
なお《ストンパー》を名乗るレスラーは複数いて、
アーチ・ゴルディに次いで有名なのは 《ストンパー》ガイ・ミッチェル。
コイツについて、述べてるとキリない😆
②《ロックンロール・エクスプレス》リック・モートン & ロバート・ギブソン……(全日本プロレス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9
80年代、《ファビュラス・ワンズ》スティーヴ・カーン & スタン・レーン に次ぐ アイドル・タッグチームとして人気!
華やかな入場、絶妙なタッグワーク。
観客とのコール&レスポンス。
コンセプト・アイディアは、テネシーの《キング》ジェリー・ローラー。
そのアイディアは世界各地に同様のチームを生みだし、
全日本プロレスの《フットルース》サムソン冬木 & 川田利明
新日本プロレスの《ジャパニーズ・ジョリー・ジャックス》野上彰 & 飯塚孝之
も その影響下で誕生。
当時(87年頃)日本では、真剣にプロレスを見てる人が まだ多く、
こういう《アイドル・ギミック》はあまり受けはよくなかった。
しかし、全日本プロレスが1989年にカンザス州で行った「 AUP オールジャパン・イン・USA プロレスリング」に呼ばれ
ダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスの《ブリティッシュ・ブルドッグス》と闘ったのは 良かったね。
③《カンナム・エキスプレス》ダグ・ファーナス & ダニー・クロファット……( 全日本プロレス )
ダグ・ファーナスは、ベンチプレスの当時のワールドレコード保持者。
https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/doug-furnas/
また パワーリフティングで 合計29個の世界記録を打ち立て
プロフットボールは NFLデンバー・ブロンコスに在籍していた《エリート・アスリート》
ダグ・ファーナスは、旧UWF に参加経験のある フィル・ラファイアー ( ダニー・クロファット ) と組んで
https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/phil-lafon/
全日本プロレスに参戦している《ブリティッシュ・ブルドッグス》ダイナマイト・キッド と デイビーボーイ・スミス と抗争する案を、全日本プロレスの社長 ジャイアント馬場便箋に書いて提出。
「面白いじゃない!」
と認められ、名勝負を繰り広げた。
80年代末頃から 90年代前半の 全日本プロレスのアジアタッグ王座の充実は、彼らの功績が大 !
④《英国の魔豹》ピート・ロバーツ ( 新日本プロレス)
1974年 カール・ゴッチのブッキングで 新日本プロレスに初来日、その後新日の常連外国人レスラーに。
http://www.showapuroresu.com/bio/hi/pete_roberts.htm
旧 UWFにも ゴッチのブッキングで登場。
スタン・ハンセンのお友達!
ハンセンのお誘いで、1986年から全日本プロレスにも登場、常連外国人選手に!
馬場さんのお眼鏡にかなって、レギュラー外国人選手に。
⑤《問題児》ビシャス・ウォリアー……(新日本プロレス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B9
リングネームは、
1987年にデビュー時、アイスホッケーのマスクを付けた『マッドマックス2』オマージュ・レスラー、ロード・ヒューマンガスを皮切りに、
ザ・ビシャス・ウォリアー
シッド・ビシャス
シッド・ジャスティス
サイコ・シッド
と度々変えてます。
日本のファンにツボなのは、WCW移籍時に シッド・ビシャス名義で《金髪の鷲》ダニー・スパイビーとの巨人タッグ、スカイ・スクレイパーズを結成した事!
ぜひ、最強タッグでその勇姿を見たかった。
WWEを経てWCWに復帰した1993年10月28日、
イギリス遠征中にアーン・アンダーソンと口論になった際、
(ビシャスの度重なる大言壮語をアンダーソンが戒めたことによる)
逆上したビシャスにハサミで胸部や腹部など10数箇所を刺される数箇所突き刺し、解雇される
(「アンダーソン事件 / Arn Anderson's stabbing incident」とも呼ばれる)。
ステロイド剤の常用による情緒不安定が原因とも言われてます。
キャリアにだいぶ大きな傷が付いたけど、
2019年11月、フィラデルフィアで行われた《レジェンド・レスラー》サイン会に元気な姿を見せてたから よかったね!
(蝶野正洋の YouTube より)
⑥《ルース・キャノン》ブライアン・ピルマン……(新日本プロレス)
https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/brian-pillman/
マイアミ大学ではカレッジフットボールで活躍
プロレスは、カナダ、カルガリーのスチュ・ハートの元で修行。
その時、武者修行中だったヒロ・ハセ(馳浩)とはツアー仲間。
1997年10月5日に、35歳でホテルの一室で死去。
自動車事故による鎮痛剤の過剰摂取、
および長年に渡る薬物の服用が動脈硬化性心疾患につながり
心臓発作を引き起こしたとされています。
外人、薬に頼りすぎだよぉ~😥
⑦《暗闇の虎》初代ブラック・タイガー……新日本プロレス
初代ブラック・タイガー("ローラーボール" マーク・ロコ)が初参戦した
https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/mark-rocco/
昭和57年4月21日の蔵前国技館大会の 対タイガーマスク(もちろん佐山聡ね)戦から使用されました。
クイーンが音楽を担当したカルトSF映画『フラッシュ・ゴードン』(80年)のサントラの一曲。
昭和56年、国際プロレスに初来日したポール・エラリングのテーマとしても使用されました。
⑧《超人類》ビル・ゴールドバーグ……WCW
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
総合格闘技のギミックで、アメリカを席巻したビル・ゴールドバーグ。
決め台詞は "Who's next?"(次に俺に倒されるのは誰だ?)、"You're next"(次はお前だ)。
このメガデスの『Crush'em』は、WCWのヒールの頃のテーマ曲。
テーマ曲は、『Who's Next?』の方が馴染みがあるけど、配信されてない(残念)
日本では、2002年に三沢光晴他大量離脱後の全日本プロレスに初来日。
2004年の《ハッスル》で小川直也と戦ったが、《PRIDE》的な総合格闘技ギミックは、日本では受けなかった。
《大物》の雰囲気はあるんだけどね、残念💦
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