リバプール・サウンド🇬🇧⚡️
時々、入替えます✨
2017.11.04✨
2017.12.24更新🎵m2🎵曲変更🎵
■リバプール・サウンド
【Liverpool sound】
1962‐63年,ビートルズをはじめとしてイギリスのリバプール市のいくつかのロック・グループが注目されるようになったころに,それらの総称として用いられた言葉。
リバプールがマージー河口にあるため,マージー・ビートMersey beatとも呼ばれた。
ビートルズのほかに
ゲリーとペースメーカーズ
Gerry & the Pacemakers,
スウィンギング・ブルー・ジーンズ
Swinging Blue Jeans
などが含まれる。
■BYコトバンク■
■マージービート‥リバプールのロックンロール
🇬🇧今ではリバプールといえば、ビートルズの出身地として有名な街ですが、かってイギリスの音楽僻地で、労働者階級の人々が暮らす港町でした。
1950年代半ば、港町のリバプールには、アメリカ黒人音楽をルーツとする
ブルース・
R&B・
ロックンロール
が、いち早くラジオやレコードを通して入ってきていました。
その新しいアメリカ音楽をリバプールの労働階級の若者たちは、人種による音楽の違いとか伝統に関りなく素直に感動できて、気持ちを躍動させることのできるビート音楽として熱狂しました。
1960年代になるとリバプールの若者たちの間から次々にロックンロールバンドが誕生しました。
ビートルズ、
サーチャーズ、
ジェリー&ペースメイカーズ、
スインギング・ブルージーンズ、
ピーター&ゴードン、
フレディ&ドリーマーズ
など、ビートルズの陰に霞んでいますが、多くのバンドが当時活躍していました。
🚣そのリバプールを流れるマージー川の名に由来して、いつしかマージービートと呼ばれるようになりました。
ロンドンやマンチェスターなどのバンドも含めるとブリティッシュビートと呼ばれ、
ローリング・ストーンズ、
フー、
ヤードバーズ、
キンクス、
アニマルズ、
ホリーズ、
ゾンビーズ、
デイブ・クラーク・ファイブ
など蒼々たるバンドが活躍していました。
🇺🇸イギリスで進化したロックンロールは、アメリカに逆上陸しアメリカの若者たちの間に瞬く間に浸透し、アメリカ中を熱狂させます。
当時ビルボード・トップ100の中にイギリスのバンドの曲が半分以上を占めたこともあり、ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼ばれました。
アメリカ社会は人種差別が色濃く残り、黒人音楽のブルース・R&B・ロックンロールを聴いている白人の若者たちはまだ少数でした。
そこに突然イギリスからやって来たビートルズやローリング・ストーンズなど白人若者たちのバンドが、黒人音楽を自らギターを弾き歌いコーラスする演奏スタイルと自分たちのバンドの演奏曲は、自ら作詞作曲する独自の音楽性と併せ、メンバー一人ひとりの自由な個性(言動・ファッション)は、アメリカの若者にとって衝撃的な出来事でした。
若者の熱狂に驚いたアメリカの音楽メディアは、すぐさまこれを世界に配信しました。
この時から世界の音楽シーンが様変わりし、それまでのライブハウスで音楽やダンスを楽しむロックンロールからメディアや機材を駆使したショービジネスのロックに変化していくことになります。
🇯🇵アメリカ経由で日本に来たマージービート(&ブリテッシュ・ビート)は、日本では一括(ひとくく)りにリバプールサウンドと呼ばれました。
60年代後半世界のブームに遅れまいと粗製濫造されたバンドが、グループサウンズと呼ばれてTV歌謡番組に雨後の竹の子のように出演していました。
■某ブログ■
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