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関内にあるミニシアター横浜シネマリンが最近のお気に入り。昔からある映画館ですがたまたま通りすがりに特に宣伝されることもない見知らぬ映画のポスターがふと目に止まりふらりと立ち寄ったのが始まり。 最近みたのが「美式天然」という映画で監督は1972年生まれで北海道は室蘭出身の坪川拓史。プロフィールをみると1990年に上京しホームレス生活を経て劇団「オンシアター自由劇場」に入団とあるからこの映画にも出演している吉田日出子がこの劇団を立ち上げた一人なので両者はここで知り合ったのでしょう。劇団入団後に独学で映画制作を始め短編映画を幾つか手掛けた後の初の長編映画がこの「美式天然」ということです。 映画のほうは特に接点はないと思われる二つの物語が交互にそして気まぐれに或いは遠い昔みた夢が回想されるように入れ替わりながら進行していく。映画はその「遠い昔の夢」と「現実的視点」とが縒り合わされるように構成されている。 時代背景をいえば当時活動写真と呼ばれていた無声映画の時代。「遠い昔の夢」の舞台も活動弁士と楽団員がいる当時の劇場から始まる。活動弁士役の小松政夫の名調子とともに白黒フィルムの映像が流れBGMは楽団の奏でる音楽─。 一方の「現実的視点」のほうは吉田日出子演じる母と娘の二人家族の淡々とした静かな生活の中に娘の祖父にあたる身体の大きな老人が加わるところから始まる。娘は近所の喫茶店に勤め母は常に自宅アトリエで黙々と花の絵を描き続けている。そういう静かな二人の生活圏に異物のように入り込んできた祖父の存在に娘は微かな違和感を感じてしまう─。 映画全編にわたりぽつぽつとしたセリフの独特の間があり観客は自然にその世界に引き込まれていく。しかもこの映画には幾つかの「捩れ」を感じさせる仕掛けがある。例えば二つの異質な物語を観客に分かりやすく識別させるために両者は白黒とカラーで分けられているのだがその分け方自体が通常のセオリーとは逆転している。つまり二つの物語の主体を担っているはずの「現実的視点」のほうが白黒で「遠い昔の夢」のほうがカラーで表現されているのだ。色つきの鮮やかな夢の世界と白黒の無機質な現実の世界。ここには観客をして一体どちらが主であるのかと一瞬戸惑わせるような捩れた感覚がある。 捩れの感覚はまだある。それが「劇中劇」の存在。色つきの夢の世界の観客たちが鑑賞する白黒の無声映画が一つの独立した世界として存在しているために平行して語られている二つの物語の上に更にもう一つの物語が加わるような感覚がもたらされる。白黒で表現されている「現実的視点」とカラーで表現されている「遠い昔の夢」に更に加わるこの白黒の無声映画。これら三者の交錯する入れ子状態がより重層的な迷路となって観客をある種の心地よい混乱へと誘う。そう。その混乱がすでに心地よいのだ。 混乱の原因にはもう一つの仕掛けがある。実は「劇中劇」に登場するヒロインとバイオリン弾きは「現実─」の中の娘と「夢─」の中の楽団員の一人なのだ。この映画の中で接点がないと思われる「夢─」と「現実─」の世界はこの完成された「劇中劇」の中では二人の男女の俳優を通してすでに共存しており両者はここでのみひっそりと繋がっている。しかもそれ以外には両者の物語における接点は最後まで存在しない。 お互い別々の物語として映画は進行していくが監督は最後に一つのモチーフを通して両者を繋げてみせる。それは「悲劇を砂に埋める」という行為─。 「夢─」の中で上演され好評であった「劇中劇」の後編が約束の船着き場に待てど暮らせどやってこない恋人を想い悲しみのあまりヒロインは…という悲劇に終わるということを知った映写技師がその後編の最後のシーンの収まるフィルムをブリキ缶に入ったリールごと砂浜に穴を掘って埋めてしまう。彼はフィルムを砂に埋めることによってヒロインを悲劇から救うことにしたのだ。 一方「現実─」の世界では唐突に現れ生活を共にすることとなった祖父の存在に当初は戸惑いがちな娘ではあったが時間の経過とともに次第に慣れその存在もようやく穏やかな日常の空間に溶け込むような仄かな親しみの感情がその態度にも表れ始めたそんな時に祖父は突然倒れ亡くなってしまう。突然の悲劇の訪れのなか娘の表情からは悲しみにせよ何にせよ如何なる表情も画面から窺うことは出来ない。そんな娘の歩いていく先に誰が何のために掘ったのか人間一人が収まるほどの穴が傍らに投げ出されたスコップとともに現れる。未だ浅いその穴の中にその身を沈めると娘は両の素手を泥だらけにしながら無心にその土を掘り始める。彼女の中の如何なる感情が自らをそのような行為に掻き立てるのか。僕らはただこちら側で想像する以外にない。 その時ふと気がつくと彼女のいる場所が砂浜に変わり白黒の世界は徐々に色づき始めていく。そして目を上げると砂浜の向こう海を背景にして「夢─」の楽団員たちがそれぞれ楽器を手にしながらこちらを見ている。言葉はなくとも静かで優しげな眼差しは感じられる。 やがて彼らはすっと息を合わせると賑やかで力強い演奏がそこから始まる。そしてそのまま渚を行進しながらそれを黙って見つめる彼女から次第に遠ざかっていく。─この時の一瞬の出会いがこの映画の中で「夢─」と「現実─」の世界が繋がる唯一のシーンとなる。 楽団員たちの楽しげな演奏と行進は更に続く。木々の生い茂る懐かしい日本の田舎道を。奏でるは「美しき天然」。 ─その時ようやく「夢─」の世界も「現実─」の世界もともに一つのノスタルジーへと収斂されて映画の幕は静かに閉じられる。 おっと。 肝心の吉田日出子を忘れていた。この映画をみるまで彼女がこんなに魅力的な女優であるとは知らなかった。最初に画面に現れた時のこちらを安心させるような落ち着いた存在感。キャンバスに向かい続けるアーティスティックな役柄も彼女の風貌に似合って一層魅力的にしている。 レコードから流れる音楽に合わせて彼女の父親役である身体の大きな老人とチークを踊るシーンがある。ワインに酔った表情で身体をぴったりと合わせ老人の耳元に口を寄せて何やら囁く彼女のその仕草が─。 実に色っぽい。
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