まさかまさかの『狼の紋章』の音源が配信に😵
という事でお送りする、バップ「ミュージックファイルシリーズ」配信記念《炎静かに》松田優作 Soundtrack《本命盤》!
《選曲》
①『人間の証明』(78年)
②③『狼の紋章』(73年)
『狼の紋章』by 杉田二郎
昨日 愛を 運んでくれたひと
雪嵐に消えた 昨日 春を
探してくれた奴 熱い血の海に沈んだ
蒼い月に吠えても 愛は戻らない
狼は一人 走る 狼は一人 走る
走る 一人
明日 涙を 返すと言ったひと
雪雲に散った 明日 里に
戻ると言った奴 熱い温もりが残った
青い瞳濡れても 春はもう来ない
狼は一人 走る 狼は一人走る
走る 一人
『狼のバラード』by 杉田二郎
なんという 賑わい なんという 寂しさ
街の谷間に 渦巻くすきま風
あの灰色の 光が
俺の心の 草原を走る
ふるさとのない 奴らに
笑って背中を向けよ 涙は誰にも 見せない
なんという 高まり なんという 虚しさ
街の夜更けに 蠢く黒い影
あの灰色の 光が
俺の心の 隙間を走る
恥じらいのない 奴らに
笑って背中を向けよ 心は誰にも 見せない
④『ヨコハマBJブルース』(81年)
⑤『野獣死すべし』(80年)
⑥『乱れからくり』(79年)
⑦『それから』(85年)
⑧『探偵物語』(83年)
《概要》
松田優作は、山口県下関市で、日本人の父親と韓国人のかね子さんとの間に非嫡出子として生まれました。
非嫡出子ということで松田優作の両親は結婚しておらず、
父親は長崎出身の保護司(非常勤国家公務員)で当時39歳、故郷の長崎には妻子のいる身だったことから
優作の母親 かね子さんは、不倫相手という事になります。
松田優作には異母兄弟と異父兄が二人おり、
後者とは仲がとても良かったものの、
成長するに連れて、自身の生い立ちに気づき始めると
次第に孤独を感じるようになっていきました。
優作が生まれる前に父親は姿を消したため、
母親・かね子さんは駄菓子屋やよろず屋をして生計を立てていましたが、
それだけでは生活していけず
空いている2階の部屋を娼婦に貸してそのあがりの一部を部屋代として受け取っていました。
優作は、1967年11月に母 かね子さんから「アメリカで弁護士になれ」と言われ、
下関市立第一高等学校 (現・山口県立下関中等教育学校)を2年生で中退して渡米し、
叔母夫妻の元に身を寄せてカリフォルニア州モントレー郡シーサイド市のシーサイド高校に編入しました。
しかし、叔母夫婦が離婚協議で環境は悪化し、
さらに言語の壁に苦しんでいた優作は、母親に知らせずに高校を退学して帰国し、
長兄夫婦が暮らしている東京都豊島区にあるアパートに身を寄せました。
そして優作は、私立豊南高等学校夜間部普通科の4年生に途中編入し、
1970年には関東学院大学文学部に入学しました。
在学中の1971年に劇団「文学座」の入所試験で落第したため、
同年5月に劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団し、俳優の道へと進みました。
そこで松田美智子さん(前妻)と出会い、1975年9月21日に結婚しましたが、自らの出生の秘密は明かすことはありませんでした。
後に、美智子さんの親族が、優作の身辺調査をしたことから在日韓国人だと知りましたが、
それでも関係を解消することなく、ほどなく長女に恵まれました。
その後、優作は『太陽にほえろ』や『探偵物語』などの作品で人気俳優になりますが、
『探偵物語』で共演した熊谷美由紀さんと不倫関係になり、1981年12月24日に松田美智子さんと離婚する事になりました。
松田優作は、自宅が女郎屋で遊郭で育った生い立ちについては生前インタビューなどでもあけっぴろげに語っていましたが、
自身が在日韓国人であることだけは、最後まで隠し続けました。
松田優作の生い立ちが明かされたのは、
没後から約10年後のことで、作家になった《元妻》松田美智子さんが
ファンクラブの会報の中で初めて公表しました。
松田優作が帰化する前の名前は”金優作”。
「現在は”松田優作”という通名を使って活動をしていますが、
僕が在日韓国人だと分かると皆さんが失望すると思います」
と気にしていて
『太陽にほえろ!』のレギュラー出演に際して1973年12月に韓国籍から離脱しました。
妻の松田美智子さんの父親が、自民党員で地元出身の元総理大臣の地区後援会長であったことから、
(岸信介か、佐藤栄作ですね)
元総理大臣へ陳情して、優作の日本国籍獲得に協力したのです。
松田優作の、帰化申請書の動機欄にはこのように書かれていました。
「僕は今年の七月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています」
「もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう」
と、……なんか切ないですね……
これらの経歴を知った上で、『人間の証明』を観ると
優作が、この作品にどんな気持ちで向き合っていたか考えさせられます。
黒人米兵と日本人女性から生まれたジョニー・ヘイワードに、幼き日の苦労を思い起こしていたかも知れません。
その後、不倫関係にあった熊谷美由紀さんとの再婚で、長男の松田龍平さん、次男の松田翔太さん、長女の松田夕姫さんの3人の子供に恵まれ
優作の魂は、今も映画、藝術、表現の世界で受け継がれているのです。
《作品紹介》
①⑧『人間の証明』
監督:佐藤純彌
原作: 森村誠一
音楽:大野雄二
脚本:松山善三
出演:岡田茉莉子 | 松田優作 | ジョージ・ケネディ │ 三船敏郎 │ 鶴田浩二 │ ハナ肇 │ 岩城滉一 │ 夏八木勲 │ ジョー山中 ……
『犬神家の一族』に次ぐ角川春樹事務所製作第二弾作品。
日本とアメリカを舞台に、戦後30年という歳月に刻まれたさまざまな人間の生きざまを描くサスペンス・ドラマ。
東京の高級ホテルのエレベーターで黒人男性(ジョー山中)が“ストーハ”という言葉と、西条八十の詩集を残して殺された。
捜査線上に見え隠れするファッションデザイナー八杉恭子(岡田茉莉子)とその息子(岩城滉一)。
黒人男性の過去を追って渡米する棟寄刑事(松田優作)。
八杉と黒人男性の意外な関係、
そしてアメリカの刑事ケン・シュフタン(ジョージ・ケネディ)と棟寄刑事の関係が明らかになる……。
『人間の証明』の脚本は、賞金500万円で プロアマ問わずとの条件で実施され、
応募者の名を伏せて角川春樹プロデューサー、佐藤純彌監督らによる選考会は『キネマ旬報』707号(1977年5月1日刊行)誌上で公開されました。
しかし、すべての応募作品が酷評される惨憺たるものであり、
「いちばん修正しやすい」との消極的理由で入選作を決定したそうです。
しかし、ふたを開けてみれば、誰にとっても大先輩である松山の脚本だったという気まずい結果となりました。😅
脚本家であり、1961年『名もなく貧しく美しく』で監督デビューもした松山善三は、
プロアマ問わない脚本の公募に対して、これはプロに対する挑戦であると受け止め、
既に刊行されていた『人間の証明』を購入され、さらに2冊購入し2冊をバラバラに分解し、登場人物や事件の比重がどのくらいページ数を持っているかを割り出し、
話の中における事件、話における登場人物の重要度を割り出して、その比重の重さを調べた上で作品を読み込み、
映画として話を再構成して脚本を書いて応募されたそうです。
映画で重要なモチーフとして出てくるのが、西條八十の『ぼくの帽子』という詞です。
この「ぼくの帽子」は、大正11年創刊された少年雑誌『コドモノクニ』(東京社)の一巻2号に掲載された西條八十の詩です。
「ぼくの帽子」 西條八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦(イタリーむぎ)の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
ジョー山中の『人間の証明』のテーマの歌詞はは、この詩を英訳したものです。
しかし、この当時の子供たちはこの詩に親しんでいたかと思うと、ビックリですね。
②③『狼の紋章』(73年)
監督:松本正志 『戦争を知らない子供たち』(73年)
原作:平井和正
音楽:真鍋理一郎
主題歌:杉田二郎
出演:志垣太郎 | 安芸 晶子 (あき まさこ) | 松田優作 │ 黒沢年男 ……
『狼の紋章』は、早川書房『SFマガジン』1969年10月臨時増刊号に掲載された『悪徳学園』を雛形に
1970年~1971年にかけて、「週刊ぼくらマガジン」に原作 平井和正 、画 坂口尚 として連載されていた
『狼の紋章』のノベライズとして小説化されました。
ちなみにハヤカワSF文庫版第1巻『狼の紋章』は日本初の書き下ろし文庫本だそうです。
私立高校 博徳学園の教師、青鹿晶子(安芸 晶子 )は、ある夜、1人の少年が3人の不良高校生にナイフで刺されるのを目撃した。
よく光る目、獣のように上端がぴんととがった耳、
ほっそりと痩せぎすの体躯から一種独特の精気を発散するその少年に、彼女は意外な場所で再会した。
少年は転校生 犬神明(志垣太郎)と名乗り、彼女のクラスにやってきたのだ。
彼は、両親を政府機関に殺され、アラスカから日本の親戚を頼ってきた過去を持つていた。
暴力が渦巻く博徳学園は、陰で《悪徳学園》と言われるくらい、不良学生の溜まり場で
早速、明は目をつけられ、暴力を受けるようになる。
明を付け狙い暴力で屈伏させようとするが、明は手向かいはしないものの 彼らに負けた表情を見せようともしない。
暴力団東明会の最高幹部を父に持ち、学園を牛耳る番長・羽黒獰(松田優作)は何かと明をいたぶるが、
どんな怪我を負わされても明はなぜか超人的に回復する。
犬神を怒らせる為に、羽黒の標的は女教師・晶子(安芸晶子)に向かい
自分の事を何かにつけて気にしてくれていた先生に振るわれた暴行に、
《狼人間》の血を引く明の怒りに火がついた……
私の《人生の10冊》にエントリーする『狼の紋章』
中学生の頃、読後 非常にシンパシーを感じました。
この映画の存在を知った時、松田優作は犬神明 役だとばっかり思ってました。
まさかの悪役に、「ま、これはこれで合っている」と感じたもんです。
原作好きから、認められる事の少ない映画ですが、画面の構図など、なかなか凝っています。
《青春映画》の側面が強調され、原作の持つクールさとウェットの対比が上手くいってない所と、
《狼人間》時のクォリティの低さにガッカリですが、
松田優作の存在感、杉田二郎の秀逸な歌など、侮れない側面もあります。
強くおすすめはしませんが、小説の映画化というよりは、漫画原作の映画化と観れば
《佳作》として観れると思います。😅
④『ヨコハマBJブルース』(81年)
監督:工藤栄一
出演:松田優作 | 辺見マリ | 蟹江敬三 │ 内田裕也 │ 田中浩二 ……
元刑事で売れないブルース・シンガーのBJ(松田優作)は、生活のために、仕事の合い間に私立探偵をやっている。
ある日BJは、ゴルフ場の片隅で刑事・椋(内田裕也)と紅屋(山西道広)と会っていた。
BJと椋は、10年前サウスブロンクスにいた頃からの親友で、椋の女房・民子(辺見マリ)は、BJの元恋人だった。
その時、BJと紅屋の目の前で椋が背後から何者かに撃たれた。
BJは紅屋に疑われてしまう。
とんだ濡れ衣にBJは、まずファミリーのボディガード・蟻(蟹江敬三)から洗おうと、蟻の男色趣味の相手・ハードゲイ4人組をブチのめす。
4人組の一人、鳥井(堀礼文)が吐くには、蟻と椋の女房・民子が通じているらしい。
蟻を待ち伏せするBJだったが、おかしなことに蟻は暫く外国へ飛ぶらしい。
さらに、何者かに射殺された椋刑事の記事がどの新聞にも見当たらない。
やがてBJは紅屋に疑惑を抱くのだが……
脚本は「翔んだカップル」の丸山昇一、監督は「影の軍団 服部半蔵」の工藤栄一、撮影は「野獣死すべし(1980)」の仙元誠三がそれぞれ担当。
松田優作は、ロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』が好きで
「次は、『ロング・グッドバイ』で行こう!」と、映画化を進めたそうです。
しかしながら、ストーリーが分かりづらくて、当時 何回観てもわかりませんでした。
『ロング・グッドバイ』は、テレビで観て面白かったので期待したのですが…
雰囲気を味わう映画ですかね。また、再鑑賞します。
⑤『野獣死すべし』(80年)
これに関する記述は、
拙プレイリスト《むー の『野獣死すべし』『野獣死すべし 復讐のメカニック』《大藪春彦 伊達邦彦 映画に使われた》Classic Music たち》
を参考にして下さい m(_ _)m。
⑥『乱れからくり』(79年)
監督:児玉進
原作:泡坂妻夫
脚本:永原秀一
音楽:大野雄二
出演:松田優作 | 篠ひろ子 | 野際陽子 │ 沖雅也 │ 峰岸徹 │ 岸田森 │ 田中邦衛 │ 結城しのぶ ……
昭和五十三年度日本推理作家協会費を受賞した泡坂妻夫の同名小説の映画化。
勝敏夫(松田優作)は興信所《宇内経済研究会》の求人を見つけ、翌日の面接で即採用。
早速 仕事が入り、所長の宇内舞子(野際陽子)と
依頼主は玩具メーカー鶴寿堂の社長で、ねじ屋敷の主である馬割鉄馬(岸田森)の所に向かう。
二人は製作部長である朋浩(沖雅也)と鉄馬の妻真棹(篠ひろ子)の乗る車を尾行するが、その途中で突然の事故により朋浩は死亡。
鉄馬の依頼の背景には、大ヒットするはずの玩具に欠陥がみられ、莫大な負債をかかえ倒産寸前のうえ、朋浩と宗児(峰岸徹)が責任をなすりつけあっているという問題があった。
やがて、馬割家の人間が次々と謎の死を遂げていく……
個人的には、松田優作が松田優作にしか見えない映画版より、
『火曜サスペンス劇場』枠で放送された『乱れからくり ねじ屋敷連続殺人事件』(82年日本テレビ)の
古城都(宇内舞子)、柴田恭兵 (勝敏夫)コンビの方が面白かった記憶があります。
⑦『それから』(85年)
監督:森田芳光
原作:夏目漱石
脚本:筒井ともみ
音楽:梅林茂
出演:松田優作 | 藤谷美和子 | 小林薫 │ 風間杜夫 │ 中村嘉葎雄
Wikipedia によると、企画は20世紀FOXの社員であり、サンダンス・カンパニーの古澤利夫(藤峰貞利)との事。
まさかの町山智浩の天敵が製作だったか……
また、本作『それから』は夏目漱石原作であるが、
ヒントになったのはデヴィッド・リーン監督の『逢びき』(45年)で、
古澤と松田優作が映画の話をしてた時、
ロバート・デ・ニーロが今、ニューヨークで『逢びき』のリメイクの『恋におちて』(84年)を撮っているという話になり、
「あんな映画をやってみたい」と優作が話したことが本作の企画に繋がったとの事。
『それから』は、『恋におちて』だったか…
脚本の筒井ともみによると、
『家族ゲーム』(83年)に続く森田芳光、松田優作コンビの第二作は、計画から一年が過ぎようとしても企画が決まらず
今日決まらなければ、優作がコンサート・ツアーを控えている…というギリギリのリミットで
優作が「次は、恋愛ものはどうだ」と言い、
それに応えて誰かが
「漱石の『それから』は?」。
でも森田芳光は 生まれては消える企画に、もう脚本を書くエネルギーは無かった為
優作が「俺に心当たりがある」。という事で、筒井ともみに電話をしたらしいです。
筒井ともみは当時の事を(原文のまま)
《迷っている私に優作は
「映画だからって肩肘はらないでさ、ポップにいこうよポップに」と唇の端をあげてニヤリと笑った。
「やってみようかな」と私が呟くと同時に優作は席を立ち、森田監督に電話をした。
まだ携帯など一般的ではなくて、店にある電話からかけた。
優作から手渡された受話器の向うから森田さんの元気な声が聞こえてくる。
「ツツイさん。脚本、一週間で書いてね」「えッ……(思わず)せめて三週間」「ダメ。本当に時間がないんだ」。
バナナの叩き売りみたいな押し問答のあげく、〆切は二週間後となった。
初めてちゃんと書く映画脚本なのにたった二週間だなんて……。
最後に森田さんは「がんばってね!」とエールを送ってくれた。
まだ会ったこともない森田さんだけど。
振り返ると優作はすでに席に戻って、あの指に両切り煙草をはさみ、めずらしく赤ワインなんか飲んでいた。》
……やり取りの《画》が浮かびますね😄
そして音楽は、《世界の》梅林茂だが、当初は元 ジャパン のスティーヴ・ジャンセンとリチャード・バルビエリが音楽を担当する予定だったとの事。
そっちも興味があるが、完成した映画版の音楽を聴くと、
梅林茂で正解だなぁ~と、思います。
明治42年。長井代助(松田優作)は高等遊民を自認しているが、
30歳を迎え、日々親族からは身を固めるように促されていた。
そんなある日、親友の平岡常次郎(小林薫)からの便りが届く。
仕事を辞し、3年ぶりに東京へ戻ってくるとのことだった。
それは、彼の妻・三千代(藤谷美和子)との再会を意味していた。
かつて、大学時代、代助は秘かに三千代に想いを寄せていたが、
平岡も同じであることを知った代助は、三千代を平岡のもとに嫁がせたのだった。
3年ぶりに再会した平岡は様変わりしており、さらには代助の生活態度をなじるのだった。
一方、三千代は生活やつれはしているものの3年の歳月が彼女を女に変え、しっとりとした美しさを湛えていた。
平岡の新たな生活のために奔走する代助。
いつしかそれは、三千代への愛への確信となっていく。
遂に自らの本心を三千代に打ち明ける代助・・・。
⑧『探偵物語』(83年)
監督:根岸吉太郎
原作: 赤川次郎
脚本: 鎌田敏夫
音楽: 加藤和彦
出演:薬師丸ひろ子 | 松田優作 │ 秋川リサ | 岸田今日子 │ 財津一郎 │ 蟹江敬三 │ 北詰友樹 │ 坂上味和
父が待つアメリカへの出発を一週間後に控えた女子大生の新井直美(薬師丸ひろ子)。
憧れの永井先輩(北詰友樹)に誘われホテルへ向かった直美だったが、
直美の伯父を名乗る男が飛び込んできて永井を追い出してしまう。
男は直美の父の元秘書に雇われた辻山秀一(松田優作)という名の私立探偵で、
彼女を出発まで守ることになっていた。
ある日、辻山の元妻である幸子(秋川リサ)が彼のアパートに転がり込んできた。
岡崎組の跡取りである和也(鹿内孝)がホテルで刺殺され、
自分が容疑者として疑われているのだという。
直美は辻山に、一緒に犯人を捜そうと言い出す……
1983年7月16日封切りで、同時上映作品は『時をかける少女』。
興行収入 51億円の大ヒット作!
薬師丸ひろ子の行っていた玉川大学に、行こうと思った切ない思い出😅
音楽は、薬師丸ひろ子が歌う主題歌を除き、加藤和彦が担当していて
加藤はフランス映画をイメージして、短くとも心に残るメロディとそのヴァリエーションからなる音楽を作ります。
ラッシュ・フィルムを観ながら、それらを微妙な感情の揺れ動きの場面に当てはめていったといいます。
主題歌『探偵物語/すこしだけやさしく』は、作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一で、1983年5月25日発売。
予約枚数だけで50万枚以上を記録、
女性ソロ・アーティストとして初の6週を超えるシングル・チャート連続1位記録!
オリコンチャートの登場週数は21週で、累計84.1万枚の大ヒットでした。
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