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説明文

1.石川県南部、白山連峰西側の白山谷にある白峰村で、毎年7月、白山の開山 祭に踊られる。「かんこ」は「神迎」のことで、白山の開基・泰澄大師が養老元(717)年、御前峰に登った時に作られたという。踊りの時、腰に太鼓を付け た人が混じるところから「羯鼓(かっこ)」の意味ともいわれている。「柏野じょんがら節」とともに石川県の二大盆踊りの一つ。 2. 麦屋で働く粉ひき職人が、石臼を回しながら唄っていた。能登半島の西側、 日本海に面する鳳至郡門前町皆月や溜池の大百姓は、近郷でとれる小麦を集め、 石臼で粉にして能登素麺の原料として出荷した。こうした豪農を麦屋と呼ぶ。 臼ひき唄に、農作業唄を流用しているうちに「粉ひき唄」として定着。内陸部から粉ひき仕事に行った農民が、この唄を「輪島」の名で故郷に持ち帰ったため、しだいに広まり始め、いつしか北陸一円で広く唄われるようになる。 3. 能登半島の東側に開けた港町・七尾は、北前船の寄港地として栄えた。七尾の漁師たちが、正月の仕事始めに網元の家に集まった時や、新造船の船おろし祝いなどで、手拍子に合わせて豪壮に唄う。「まだら」は、秋田、富山、長崎の三県と、能登半島海岸部に点々と伝わる海の唄である。名のいわれは、真言宗の「まんだら」のなまりであるとか、佐賀県東松浦半島の西北に浮かぶ「馬渡島」から伝わったためだともいう。曲は九州方面を中心に広く祝い唄として唄われている「よいやな」で、能登半島の「まだら」は、七尾と輪島のものが有名。 4. 牛深ハイヤ節しか見当たりませんでした。以下は加賀ハイヤ節についてです。 石川県南部、石川郡白峰村の酒席の騒ぎ唄。地元では笠を持って踊るところから「笠踊りはいや」「白峰はいや」などと呼んでいた。昭和43年、 金沢在住の中村晴悦が節回しに手を加え、曲名を白峰から加賀にして発表。早間の切れのよい踊りが人気を呼び、石川を代表する唄になった。九州天草牛深育ちの「ハイヤ節」は、北前船の船頭たちによって福井県の三国港に伝えられ、 九頭竜川の川舟の船頭などが、内陸部の福井県大野市方面まで運んだ。それを大野市へ出稼ぎに行った白峰の人々が覚えて、故郷へ持ち帰ったもの。 5. 御陣乗太鼓は、かつて上杉謙信勢の攻撃を異形の面と陣太鼓を使った奇襲により撃退した村人達が、輪島の名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至ったもの。 面をかぶった6人が、遅いテンポから次第に早く太鼓を打ち鳴らすということを何度も繰り返す。演奏者は独特の芸を交えながら演奏する。 6. 琵琶湖哀歌は一見、石川県とは関係なさそうですが、四高(現金沢大学)の生徒たちの水難死亡事故への追悼曲ということで入れました。詳しくは曲のコメントに書き込みました。 なかなか民謡の配信も少ないので、統一感のないプレイリストになってしまいました。
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