曲は良いのだが、なんか《不遇》なイメージも付いてしまっている……
そんなプロレステーマ曲に光を当てる!
とは言っても、本当に不遇かどうかは あいどんのー。
そんな崇高な志をみせる《プロレス秘宝館》第6弾!
レア新日本プロレステーマ曲の特集です!
《昭和》は遠くなりにけり……
①『ロック・ミー・ドラゴン』by 松岡直也&ウィシング……藤波辰巳
https://www.wwe.com/superstars/tatsumi-fujinami
「悶絶!プロレス秘宝館Vol'2」(発売 シンコーミュージック 1998年刊)に、82年頃の一時期使用と書かれていたが、
発売は1987年1月25日 みたいなので誤記と思われます。
87年の《ニューイヤー・ダッシュ'87》開幕戦後楽園大会の、対 木村健吾戦で使われたとの書き込みもあります。
使用期間はその後、3シリーズのみ。
作曲は『ミ・アモーレ』の松岡直也先生。
丁寧な仕事だなぁ~と感じるのは、歌詞がついても違和感ないメロディ。
歌詞付きも想定してたが、『マッチョドラゴン』の歌でいじられた藤波が、拒否したのかと 勝手に想像してしまいます。
曲の合間の、藤波辰巳の掛け声がナイスですね!
「藤波によるラップ」
というのが売りで
「ドラゴン!」「ロックミー!」「スープレックス!」
との掛け声が、曲の合間に!
12inch盤での発売で、カップリング曲の『Dragon The Champion 』は、「藤波辰巳 勝利のテーマ」との事。
この『ドラゴン・ザ・チャンピオン』は、会場では使用されていないけど、構想としては、試合に勝ったあと流す予定だったのかも知れません。
⑧曲目にエントリー。
②映画『リベンジャー (原題 FIREPOWER )』(79年)by ガトー・バルビエリ(GATO BARBIERI)……スタン・ハンセン
ハンセンの新日本プロレス時代のテーマ曲。
https://www.wwe.com/superstars/stan-hansen
とは言っても、最初は昭和55年《新春黄金シリーズ》に来日した《NWAインタージュニア》チャンピオンのスティーブ・カーンのテーマ曲として登場。
その後、昭和55年の《第3回MSGシリーズ》佐賀大会の、アントニオ猪木、藤波辰巳 対 スタン・ハンセン、チャボ・ゲレロ 戦 からテーマ曲として使用。
レスラーのテーマ曲らしい かっこいい曲。
『リベンジャー』は、ソフィア・ローレン、ジェームズ・コバーン主演のイギリスのアクション映画。
今でもテーマ使用出来る名曲!
作曲は、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のアルゼンチン出身のサックス奏者 ガトー・バルビエリ。
③『レオンカヴァッロのパリアッチ Pagliacci 』(76年)by メイナード・ファーガソン Maynard Ferguson……ボブ・バックランド
http://kuro.pinoko.jp/pro/w710.htm
最後のWWWF王者 ボブ・バックランドのテーマ曲。
最初の78年の新日本プロレスに来日時には、クール&ザ・ギャングの『開けゴマ』。
次の79年の来日にはこのテーマ曲が使用されました
第二次UWF 来日した時も、このテーマ曲が使用されました。
当初は、グラン浜田、エル・カネックなど《メキシカン》レスラーのテーマとして使用。
昭和54年の《闘魂シリーズ》徳島大会のアントニオ猪木 対 ボブ・バックランド から、バックランドのテーマとして定着。
(猪木 幻のWWFチャンピオンになった試合)
この曲は、映画『アンタッチャブル』でオペラを観ながらアルカポネが涙を拭くシーンに使われました。
2分ちょい前あたりから、テーマ曲として使用しています。
④『JAWS』(76年)by ラロ・シフリン……アンドレ・ザ・ジャイアント
ジャズ/クロスオーバーの黄金期を築き上げた名門レーベル《 CTI 》レーベルからリリースした
『燃えよドラゴン』のラロ・シフリンの移籍第1弾!
もちろんジョン・ウィリアムズ先生の『JAWS』のフュージョンカバー。
昭和55年《第3回MSGシリーズ》でのみ、アンドレ・ザ・ジャイアントのテーマ曲として使用されました。
https://www.wwe.com/superstars/andrethegiant
その後は、『ジャイアント・プレス』by E. PROJECT を使用。
⑤『ザ・ヒート・ゴーズ・オン』(83年)by エイジア……ザ・コブラ(ジョージ高野)
初代タイガーマスクの後釜として登場したザ・コブラ。
https://hobby.red-cm.com/pro_wrestling/%e6%82%b2%e5%8a%87%e3%81%ae%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%80%8c%e3%82%b6-%e3%82%b3%e3%83%96%e3%83%a9%e3%80%8d%e3%80%9c1983-86-%e6%96%b0%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%ac
初代タイガーの後だけに、やりずらそうだったが
スタイル抜群な体型がカッコよく、白ジャケットも似合ってました。
俺は好きだったぜ!デビュー戦の相手ザ・バンピード(デイビーボーイ・スミス)が悪かった。
昭和58年《闘魂シリーズ》最終戦蔵前大会から使用。
ザ・バンピートが戦う前にマスクを脱いで、正体のデイビーボーイ・スミスを明かし
インパクトの点で、ザ・コブラを上回ってしまいました。
プロレスの《アングル》は怖い……
⑥⑦『タイムマシン~イン・ザ・ビギニング』(78年)by Meco(ミーコ・モナルド)……タイガー・ジェット・シン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3
新日本プロレス初期の最大のスター!
かつて《ヒンズーハリケーン》のリングネームで、「まだ見ぬ強豪レスラー」の一人に挙げられていた
タイガー・ジェット・シンのテーマ曲。
この曲は、昭和54年8月26日の《夢のオールスター戦》の入場の際で初めて使用され
同年秋の「ブラディ・ファイト・シリーズ」でもシンのテーマとして使用されました。
だがしかし、すぐにスマホ緊急地震速報の音の作者である
小久保隆さんの『サーベル・タイガー』に変更されました。
全日本プロレス時代は、ブッチャーのテーマ曲『吹けよ風呼べよ嵐』をスライド使用。
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