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オールドスクール・ヒップホップとは、ヒップホップ黎明期を意味する言葉。1990年代初めよりも前のヒップホップを言及する言葉として使われている。 ヒップホップの人気が高まっていくに連れ、音楽が流れている間に、マイクを取って言葉を挟む人々が登場し始める。グランドマスター・フラッシュ&フューリアスファイブのメンバーであったメリーメルは、自らMCを名乗った最初の人間である。 オールドスクール・ヒップホップでは、ディスコ、ソウル、ファンクなどの音源をサンプリングすることが多かった。シュガーヒル・ギャングの場合、生の演奏をサンプリングして活用した。しかしながら、すぐにオールドスクールのアーティストたちは、ドラムマシンや、人気の間奏部のサンプリング済みの素材集などを活用するようになった。このようなサンプリングされた間奏部を有効に活用するために、ミックス技術やスクラッチ技術が発達していく。グランドマスター・フラッシュがレコードの中で使っている。スクラッチという技法の登場は、後のヒップホップ界におけるリミックスの隆盛に繋がっている。 オールドスクールのラップは、楽しい時間、愉快な宴、良好な友人関係に焦点を当てることが多かった。しかし、そこに1つの例外が登場する。グランドマスター・フラッシュ&フューリアスファイブのためにメリーメルが綴ったラップ曲「メッセージ」である。この曲が人気を博したことで、ヒップホップ界に「思想的なラップ」という流れが登場してくることになった。 ヒップホップのソウル・チャートでの成功への第一歩は、1979年に発表されたファンクのファットバック・バンドの「キング・ティム・サード」と、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」である。そしてその2曲に続くように、カーティス・ブロウ、コールド・クラッシュ・ブラザーズ、グランドマスター・フラッシュ&フューリアスファイブ、トリーチャラス・スリー、スプーニー・ジー、アフリカ・バンバータなどが作品を発表し、音楽界にそれなりの潮流を築いた。 1980年代に、ヒップホップは多様化を見せ始め、より複雑な型の登場が始まる。1970年代を特徴付けた単純な内容のMCは、複雑で多層的なビートに合わせ、語りかけられる隠喩的な響きの強いラップに取って代わられた。また、ラッパーの中には、大衆受けする音楽歌手になる者も登場した。
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