イリノイ州ベレヴィルでジェフ・トゥイーディとジェイ・ファーラーのふたりを中心に結成されたアンクル・トュペロは、オルタナ・カントリー・シーンの顔役的存在だったが、4枚のアルバムを残して94年に解散。直後にトゥイーディが立ち上げたのがウィルコだ(ファーラーはサン・ヴォルトを結成)。
95年のデビュー作『A.M.』は、トュペロ時代の面影を残すオルタナ・カントリーな作風だったが、いきなり2枚組の大作となった第二弾『ビーイング・ゼア』で広い音楽性を示し、第三弾『サマー・ティース』ではインテリジェンス溢れるポップに急接近、ファンの賛否両論を呼んだ。
02年の『サマー・ティース』での進化を布石に、ジム・オルークをミキサーに迎えた第四弾『ヤンキー・ホテル・フォックストロット』でバンドは、米ポストロック・バンドの中心となりえる立ち位置に到達、一気に知名度を上げた。が、この時期のバンドが必ずしも順風満帆ではなかった。ウィルコはメンバー・チェンジの激しいバンドだったが、『ヤンキー・ホテル~』制作中、トウィーディーと、彼に次いで音楽的主導権を握っていたジェイ・ベネットとの確執が深まり、結果、ジェイは脱退、また、同作レコーディング中、所属のメジャー・レーベルから解雇されてしまう。そんな苦労の末にリリースされた『ヤンキー・ホテル~』がバンド史上最大のヒットになったというのも、皮肉な話ではある。
03年、真冬のロック・フェス『マジック・ロック・アウト』出演のために初来日。翌04年発表の『ゴースト・イズ・ボーン』(全米最高位8位)では、音響系からポップ、ロック、カントリー、ジャム系までのサウンド世界を縦横無尽に行き来し、グラミー賞では最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバムと最優秀パッケージ・レコーディングの2部門を受賞、さらにこの頃には現在の“最強メンバー6人”が揃い、ライヴ・バンドとしても目覚ましい躍進を遂げていったのである。
07年、“最強の6人”による初のスタジオ作品『スカイ・ブルー・スカイ』(全米初登場4位)を発表、08年2月には地元シカゴで「完全なるウィルコを見せたい」と、5夜に渡るコンサートを実現させ、3時間に渡るショウを繰り広げている。09年6月、通算7作目となる『ウィルコ(ジ・アルバム)』をリリース。
2011年dBpm Recordsの設立。8作目のスタジオ・アルバム『The Whole Love』リリース。同年、フジロック・フェスティバル参戦。ホワイト・ステージのトリを飾る。
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