87年ロサンゼルス生まれのシンガー・ソングライター、25歳。元パンク・ロック歌手であり現在ソングライターの母親を持つ彼女は、幼少の頃からレコーディング・スタジオを出入りするようになる。
母親の影響もあり、小さい頃から自然と作詞/作曲をしていたKE$HAは、17歳の頃に学校を辞めて数々のアーティストへ楽曲を提供/プロデュース業を行うようになる。またシンガー・ソングライターとしてマイリー・サイラスのEP「ザ・タイム・オブ・アワ・ライブス」に携わるほか、ブリトニー・スピアーズの「レース・アンド・レザー」ではバックコーラスを歌うなど、裏方として数々のアーティストを支えてきたKE$H。実は2008年、突如プリンスに自分のデビュー・アルバムをプロデュースしてもらおうと思い立ち、プリンスの住所を突き止めて、ビバリーヒルズにある彼の自宅まで車で向かい正門を強行突破したことが…!「ちょっとヤバイかなって思ったけど」とKE$HAは当時を振り返る。「でも、だから何って感じ。でしょ?」。
その後、彼女のデモ音源がドクター・ルーク(ブリトニー・スピアーズやケイティ・ペリー、ケリー・クラークソン、アヴリル・ラヴィーン他多数プロデュース)の手に渡り、その半ば歌い、半ばラップしているかのような彼女の陽気な歌声を耳にしたルークはすっかりその才能に惚れ込み、彼が当時プロデュースしのちに大ヒットとなるフロー・ライダーのシングル「ライト・ラウンド」のメイン・パートへも起用されることとなる。ただその曲のギャラがなかったこともあり、曲は大ヒットするもののタコスを買うお金すら手元にない自分をおかしく思った彼女は「お金なんていらない、だってワタシに価値があるんだから」と自身の名前にドルマークを入れてしまう。
参加楽曲の大ヒットと彼女の圧倒的存在感が噂となり、瞬く間に数々のレコード会社が激しい争奪戦をスタート。最終的には彼女の才能に惚れこんだドクター・ルークが彼女をRCAレコードに連れて行き、その類のない独特の個性と歌唱力を見初めてRCAは即座にレコード契約を締結。デビュー・シングルとなる「ティック・トック」は全米シングル・チャート9週連続で1位を独走、iTunesチャート(USA)ほか全世界でのきなみチャート1位を獲得、新人アーティストとしては初の全米シングル・チャート2曲同時TOP10入り(新人以外ではブラック・アイド・ピーズ、ビヨンセ、マライア・キャリーでKE$HA含め4組のみ)した。
全米ではデビュー・アルバム『アニマル』がビルボード・チャート初登場1位を記録、大半の楽曲を自身で作詞/作曲しながら、ピンクやケリー・クラークソン、ブリトニー・スピアーズの作品で知られる大御所ヒットメーカーのマックス・マーティンや、ケイティ・ペリーを手掛ける売れっ子ソングライター/プロデューサーのベニー・ブランコなどもプロデューサーとして参加。
2010年5月に日本デビューしたKE$HA。その新しいサウンドは全世界で1100万枚売上げ、ここ日本でも大ヒットを記録、オリコン総合アルバム・デイリー・ランキングで1位を獲得、2010年の洋楽新人アーティストとしては唯一の1位獲得のデビュー・アルバムとなっている。さらにデビュー・シングル「ティック・トック」はレコチョク洋楽にて着うた/着うたフルともに年間チャート1位を獲得、ここ日本で最も売れた洋楽シングルとなった。
「人生を、自分らしく楽しんで、幸せになる。みんなが自分を解放するきっかけになるようなアルバムが『アニマル』なの。お金がすべてみたいなセレブもいるけれど、私は高いカバンや靴を持っていなくても、オシャレを楽しめるし、人生を楽しめる。人間は動物で、本能がある。それには大きな意味があるのよ」
そんな全世界から注目を集める新世代ポップ・アイコンKE$HA、早くも同年の2010年12月にはニュー・アルバム『カニバル』を発売。シングル「We R Who We R(ウィー・アー・フー・ウィー・アー)」はKE$HAと大ヒット・プロデューサーであるDr.Lukeによる最強コラボ・シングルとなっており、全米シングル・チャート初登場1位を獲得。名実ともにN0.1アーティストであることを証明した。
勢いはそのままに、2011年はブリトニー・スピアーズのシングル「ティル・ザ・ワールド・エンズ」を手がけ、初のリミックス・アルバム『アニマル+カニバル リミックス・アルバム』を発売。2012年発のサマーソニックに出演するほか、初の単独公演も敢行。 2013年1月にはニュー・アルバム『ウォーリア』を発売予定だ。
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