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菊地 成孔

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東京ジャズシーンのミュージシャン(サキソフォン/ヴォーカル/ピアノ/キーボード/CD-J)として活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、極度にジャンル越境的な活動を展開、演奏と著述はもとより、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、コラムニスト、コメンテーター、選曲家、クラブDJ、映画やテレビドラマの音楽監督、対談家、批評家(主な対象は音楽、映画、服飾、食文化、格闘技)、ファッションブランドとのコラボレーター、ジャーナリスト、作詞家、アレンジャー、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。 「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」「現時点で既に過去アーカイヴを編む事が本人によってもスタッフによっても断念されている」と言われる程の多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、世代、文化的な所属、国籍を越えた支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタントの一人。一般紙誌、ウエブマガジンに常に複数の連載を持つと同時に、1998年より開設したホームページから書き続けている日記も人気が高く、インターネット日記の書き手としてはオールドスクーラーに属する。 大学講師としては04〜05年に東京大学、07年に国立音楽大学、07年と09年に東京芸術大学、08年に慶応義塾大学で教鞭を執り、大谷能生と共に登壇した東大と慶応の講義録が書籍化(「東京大学のアルバート・アイラー(歴史/キーワード編)」「M/D〜マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究」「アフロディズニー」「アフロディズニー2」)されている。 実学の音楽講師としては02年から就任のアテネフランセ映画美学校/音楽美学講座セオリー科主任講師業、社会人向けに夜学で音楽理論とサキソフォンを教える私塾「ペンギン音楽大学」の講師業は現在も継続中(両校とも毎年生徒募集中)。 04年からは新宿・歌舞伎町の北門である職安通り沿いに庵を構え、メディアに「歌舞伎町の住人」として紹介される事も多いが、住所的には歌舞伎町ではなく大久保。数多のバンドへの参加、主催を経て、現在は自らのリーダーバンドとして「菊地成孔ダブセクステット」「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」「DCPRG(デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン)」の3バンドを主催。また、オーガナイザーとして<40年代式のビーバップで行うダンスパーティー>である「HOT HOUSE」を主催。濱瀬元彦THE ELF EMSEMBLE、水上聡ラクダカルテットという2大鬼才のバンドにメンバーとして参加中。 音楽家としてのプロデビューは1984年、横須賀の米軍ベースに於けるフィフツ・ディメンションのバックバンドの4番サキソフォニストとして。著述家としては03年の「スペインの宇宙食(小学館。文庫版もあり)」より。1963年6月14日、千葉県銚子市観音町生まれ。AB型双子座。賞罰欄は少なくとも成人して以降は全く空欄、活動の中心は圧倒的に東京で、地方、海外公演は仕事量に反比例して極度に少ない。免許証、土地不動産、支持政党、安定した家庭を持たず、毎日タクシー移動で働くことと遊ぶこと以外何もしないで暮らしている。目、髪、共に黒。帰依する既存の宗教は無いが、好きな宗教は神道、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教(カソリック)、ユダヤ教、イスラム教、好きな食材は本鮪、アルゼンチン牛、チンカセネーゼ豚、ブロイラー以外の鶏、あらゆる食肉の、あらゆる内蔵。兄は小説家の菊地秀行、父は日本料理人の菊地徳太郎(故人)。昨年、世界で初めて10年間分の全仕事をUSBメモリに収録した、音楽家としての全集「闘争のエチカ」を発表、今年、世界で初めて繋がりか(「世界で初めて」が非常に多いタイプなのだが、特別に良い事もない)、創立50周年を迎えるジャズの名門Impuluse!レーベルで、アメリカ人以外で初めての契約アーティストとなり、インターナショナル・サイズでのリリーズが決まった。
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