( )⇒は、テーマ曲使用時の来日団体。
これらの曲をバックに、入場してくるレスラー達に、感無量っす!
①《ロシアの悪夢》ラシアンズ( 全日本プロレス )……
ロード・ウォリアーズを生み出した、エディ・シャーキー・ジム出身のロシア・ギミックのタッグチーム。
ニキタ・コロフと、クラッシャー・クルスチェフ (後のデモリッション・スマッシュ )、マネージャーにはマジソンで、ブルーノ・サンマルチノに勝ってWWWF世界ヘビー級チャンピオンにもなったイワン・コロフ。
当時、いいタッグチームが多く ラシアンズにも、全日本プロレスの最強タッグに出て欲しかった。
ニキタ・コロフはプロレス辞めて、宣教師になったとの事。
良かったね。
②《サンマルチノの秘蔵っ子》ラリー・ズビスコ( 新日本プロレス )……
ブルーノ・サンマルチノの秘蔵っ子にして、《AWAの帝王》バーン・ガニアの娘婿。
60年代~90年初頭まで続いた、アメリカ三大世界タイトルの一つ《AWA世界ヘビー級タイトル》最後のチャンピオン。
1990年2月10日東京ドームで、藤波辰爾がラリー・ズビスコに挑戦する事が決まってたが、腰の悪化で棄権。
でも、代わりに挑戦したマサ斎藤が、第37代王者になったから良かったね。
③《チャタヌガの旋風》リチャード・スリンガー( 全日本プロレス プロレス留学 )……
テリー・ゴディを叔父に持つ、全日本プロレス 所属だったが、体を壊し34歳で引退。
体が小さかったからね~
でも、ベイダーやスコーピオとユニット《ケイオス》でやれて良かったね。
④《早撃ち野郎》リック・マグロー( 新日本プロレス )……
ステロイドのやりすぎで、30歳の若さでお亡くなりに...
そういや、ミスター高橋の本に「変な時に寝る。食事中にも寝てた、スパゲッティの中に顔を埋めて...」みたいな事、書いてあったな。
でも、アンドレ・ザ・ジャイアントとの凸凹コンビは良かったね。
⑤《フリーバーズの付き人》マイク・ゴールデン( 全日本プロレス )……
1983年、キラー・カール・グラップ戦でデビュー。
あんなプロレスが何たるかを分かっている奴とやれて良かったね。
で、ファビュラス・フリーバーズの付き人を経て1991年5月に全日本プロレス 初来日。
日本に来れて、良かったね。
⑥《ゴールデンレフト》マイク・バートン & 《鋼鉄狼》ジム・スティール( 新日本プロレス )……
WWFで《スモーキング・ガンズ》のバート・ガンを名乗っていたマイク・バートンと、
ザ・ラクロスや、ウルフ・ホークフィールドなどの変名も持つ ジム・スティールが2001年にコンビで新日本プロレスに参戦。
マイク・バートンと言えば、1998年 WWFの《BRAWL FOR ALL》というガチ格闘技の大会で、この大会で売り出そうとしていた、スティーブ・ウィリアムスを1回戦でKOしてしまい、解雇されたのが良かったね。
⑦《豹の爪》マイク・フォン・エリック( 新日本プロレス )……
《悲劇のエリック一家》...テキサス州ダラスの大物フリッツ・フォン・エリックの五男。23歳で服毒自殺 ……
レスラーになった五人の内、10年間位の間に 1人が内臓疾患で急死 (ドラッグが原因との噂 )、残り三人が自殺 ⤵︎
みんな若い...
長男は幼少時、事故死。三男デヴィッドは25歳で日本で急死、四男ケリーが33歳で自殺、五男マイクが23歳で自殺、六男クリスが21歳で自殺……
...良くないね……
⑧《仮面貴族》ミル・マスカラス( 全日本プロレス )……
最後はベタにマスカラスだ!
1979年の「ブラック・パワー・シリーズ」でのアブドーラ・ザ・ブッチャーとの初絡みは良かったね。
《セール》をしないミル・マスカラスが、ブッチャーの好きにさせない試合をしたのが大人気ない。
マスカラスらしい試合で、ホント名試合。カルロス・コロンの相棒っぷりも良かったね。
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