もう二十一世紀まで、 わけない故に…。 あぁ、慎重に友人に問う。 「もう何も無いのなら、 また持てばいい。もう簡単!」と、 友人は吐いて笑う。 頂上の方へ、なんで僕等、 そんなに突き進むんだ? 違うよなぁ~。 僕ぁ、もういったい何者なんだぁ? そう。本来ある今日に、 ちょっとでも病んだような者を、 待って、出会って、僕も僕と解る。 「だって、なんか、 そういうのって、いいねぇ」 「解っちゃいない」と、 友人に言う。 こんなような会話が、 あん時の僕に、 引っ掛かる鍵を開けたんだ。 「“なぜ?”が僕の道標の ようでもあるな」。友人笑う。 楽しいな。楽しいな。考えんのは。 うれしいな。うれしいな。本当に。 落雷の音で、 みんなのバスと擦れ違うのも、 夢中にさ、歩いてたんで、 気付かなかった。 夢中な時ほど人のことは 考えず…られず…進む。…。 まぁ、歩いて、気合抜いて、 歩いて、休み入れて、 歩き続ければ、 いつかは会える。 だって、そういうもんだよ、 大抵。この世の距離は。 友人という曖昧な言語なんか、 当事者にとれば、 もう、さっぱりさぁ、 もう意味不明なんだぁ。 「なんでぇ~?」 なんて言うなって。 だって、気恥ずかしいよ。 友人も言う。 楽しいな。楽しいな。 瞬間の再会は。 うれしいな。うれしいな。本当に。 「だって、なんか、 そういうのって、いいね」 「解ってたまるか!」。 友人呼ぼう。 「だって、なんか、 そういうのって、いいね」 「解ってくれるか」。 友人誘う。 「なんで?」なんて言うなって。 なぁって。解ってくれぬか?…? (いいのだ、みんな。 いいのだ、みんな) 「“なぜ?”が僕の道標で、 今日も行くよ」 と、友人に吐いて帰る。 (いいのだ、みんなよ、飛んで行け) もう二十年後に、 また会いたい故に、 今日、深長に友人に問う。 僕等の答えはゴールを旋回し、 大手振り、出発地点へ戻る。 この詞の最初に戻る。