家に帰るとご飯が置いてあって その上にラップが巻いてあって 世間的や 一般論じゃそうじゃないとしても 俺はそれもちゃんとhiphopだと思う ビジネスを意識せず必死に蹴る サイファー 人気出るやCD デビューで地味に減った会話 好きを金にしようとすると 嫌でもちらつく 様々な欲望が俺を取り巻く 何が売れるか分からない現状で 考える 「売れるもの」 はお客さんが決める事だ でもWAKABAをずっとみているお客 さんは 「それもまたWAKABAである」 というパラドックス あの日見てたアーティストや 有名人も こんな気持ちであの舞台に 立っていたのだろうか 逆にあの日俺を応援してくれた 人達は 今の俺も 同じ様に見てくれるだろうか? 純粋に本当純粋に歌って それが理由で聴かれる事はほとんど 無い きっかけやとっかかりが何だって 良いなら 細部にまでこだわってLive しなくても良い 俺はきっかけも自分で作りたくて もっと言えばきっかけは Liveであってほしくて 100やって1当たれば良い話ではない 1で決めて結果それが100になるだけ ある時ソロで出したEPを聴いた 下手くそなラップだったけれど 心底食らった 今俺があの頃の様な曲を 書けないのは 100%成長したからと言えるだろうか 俺が1番悔しいのは歌詞を飛ばす 事や 馴染みの曲をミスる事じゃない 昔からよく俺を知っている人達が 俺の曲を聴いて喰らわなくなる事だ 「いらっしゃいませ」が 「らっしゃいませ〜」 になっている店員さんと リハに来ないアーティストは同じ 初心忘れたのか自惚れんなバカタレ ホームランを打ちたければ 素振りからだろ 俺を知っている全ての人に告ぐ もしも俺が自分を曲げたと 思ったその時には お願いだから 容赦なく1発殴ってほしい そうなった俺を1度殺してほしい 曲を出した次の日に起こりがちな 現象 再生数低すぎてアップミスったかと 思う だけど「良かった」 というDMのせいで その淡い期待と浅い視界が 同時に消える 「数字が全てじゃ無い」と 心から言えるラッパーは この世界に何人いるのか ステージで偉そうな 事言っておきながら 裏で渡した袋俺はちゃんと見ている ラップばっかしてると ラップができなくなる 正確には肌に触れぬラップになる 人の苦痛を想像して歌う悲痛な 叫びは その傷の瘡蓋をめくっているだけ 売れてなくて良かったと思う 瞬間があるとすれば バイト終わりの珈琲胸を刺した ジェラシー それらを想像じゃなく思いとして 吐ける 重い意図は時として曲となって 化ける 毎晩のように話し試行錯誤し “売れるであろう風”の曲を書く時 俺は何度も殴られる 信じた人達とその人達と 出会い出来た何百曲 俺がバーカンで騒ぐ演者を 好きになれないのは そこにいる自分の事を 好きになれないから どれだけキャリアを重ねても根底は 同じ 俺にとってhiphopは生活の切り売り 凱旋東西選抜冬の陣の帰り 過去最大の売り上げを持って マリノと2人 電車に乗っている時に俺ははっきり 車窓に映る自分が天狗だって 気付いた 俺が1番悔しいのは歌詞を飛ばす 事や 馴染みの曲をミスる事じゃない 生活の真ん中で出来た曲がいずれ 生活の為に書いた曲になる事