もう4年も前になる 叔母の通夜に祖母を連れて行った 日のこと、膝を落とし 「さようならを言いたくない、 お別れしたくない」 その場から動かなくなった様子を 見て 絶対に親より 先にその床についてはいけないと 思った 毎朝、仏壇から香る線香も 誰かを見送る度に幾重に重なる 最後の瞬間が お涙ちょうだいの 内ならまだよかった 枯れた涙拭って腫れた目元その奥で 真っ赤に充血した眼 には、焼き付ける様に現実が映り まるで、 見たくない現実を流すために 今までの涙が流れていたと 思えるほど 何かを受け入れたその眼にはもう 涙すら流れていない 消えていくか、 今年の冬至は南瓜を食べる 余裕すらなく 湯気の先には笑顔はなくて 1年で一番長い夜に祖母の入院する 病院から 明日の14時に 10分間だけ 家族1名だけの面会要請が来た 入院した 11月からずっと面会が 出来ない状態だったから 母親が代表して行く事になって 母親はおじいちゃんにおばあちゃん 宛てに ラブレターを書くように言った おじいちゃんは夜通し原稿用紙に8 枚ラブレターを書いた 1年で一番長い夜が明ける頃に 書き終えたラブレターを母親が 読んだら ただのおじいちゃんの 近況報告だったらしい それはそれでおじいちゃんらしいと 思った 自分は 東京でせめてものエールとして 良くおばあちゃんが 冬に作ってくれた 酒粕汁を作ってみたけれど 全然うまくいかなかった 自分でやってみて初めて 難しさに気付いたり あの味付けどうしてたのかとか もっと 早くおばあちゃんに 聞いておけばよかったよ 心のどこかで思っていたお別れが 近付いていることを 意識があるうちにもう 会えないかもしれないことを いつかの病院の待合室での会話を 思い出す 「さようならを直接言える事が 幸せな事だったなんて あと、 何回生まれ変わったらそう 思えるんだろうね」 「確かに、 何かを成し遂げるには短過ぎて、 何もしないには長過ぎてただ 何となく、 それでも季節はまた流れていくね」 翌日、 面会したおばあちゃんはほぼ目を 開ける事が出来ず 結局おじいちゃんの ラブレターというか 近況報告は読めなかったって ただ弟が画用紙に大きく書いた 「またあいましょう」 という文字を見て微笑んでいたって 読めなかった原稿用紙8 枚よりたった8文字が響いたって 確かに、 見た事ないくらい気持ちのこもった 「またあいましょう」だとは思った もう一度おばあちゃん 宛てにおじいちゃんがラブレターを 書いて 目を開ける事が出来なくても耳は 聞こえているから それって朗読で読み聞かせることが 出来るんじゃないかな 天井見上げ息を飲んだ もうほとんど声が 出ないおじいちゃんの代わりに そんな時のためにオレがいる オレの ポエトリーリーディングならここで 使う 無音で何小節だって付き合うから ラブレターを孫に朗読されるなんて そんな恥ずかしい事ないと思うけど そんなこと最初で最後だから そして、今ならまだ間に合うから